隠退牧師の徒然記<568>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<568>
2021年1月19日「時には雪国のように」


聖書の言葉
ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください。わたしが清くなるように。わたしを洗ってください。雪よりも白くなるように。
旧約聖書詩編51編9節)


今年ばかりではないが、冬ともなれば、日本海側の地域では雪が降り、大雪にもなる。いつも雪の被害が報道されている。積雪で車が通行できなくなり、1000台も立往生したとか、屋根の雪下ろし中に転落し、雪に埋もれてしまったという、そんな報道をいつも示されている。毎年、大雪が降り、積雪の被害があるのだから、それなりに対策を立てたらよいと思ってもいるが、自然には勝てないのである。
雪国の皆さんには申し訳ないのであるが、住んでいる地域は比較的に温暖であり、雪なるものは降ることが少ない。しかし、時には積もるほど降る場合もある。数年前であったが、かなり積もり、道路の雪かきをするのが大変であった。近所の皆さんも総出で雪かきをするのであった。前任の綾瀬市に住んでいる頃も、こちらとはそんなに気候が変わらないが、こちらよりいくらか寒いようである。何度か積雪の時があった。教会の前の道路は緩い坂道になっている。そのため、積雪になると、自動車の走行が危険になる。都会の皆さんは雪に慣れてなく、積雪対策もしてないので、雪が降っても普通タイヤで走行する。緩い坂道でも積雪時では走行が危険なのである。立ち往生してしまい、渋滞となってしまうのである。
めったに雪なるものは降らないが、降ったとしても、すぐに溶けてしまうのである。いわば都会育ちで、宮城県の古川にある教会に赴任する。4月に赴任し、秋が過ぎ、冬ともなったとき、雪の降る日を経験するのである。朝から一日中降っている。そんな雪の降る状況が珍しく、書斎の机に向かっても落ち着かなく、窓辺によっては降雪の外の様子を眺めていたものである。しかし古川という町は、太平洋側になるので、そんなに積雪があるわけではない。少し降ってはやみ、またしばらくすると降雪となる。だから道路はいつもぬかるみになっている。雪は降らないが寒さが厳しかった。いつも道路は凍結している。当時はスパイクタイヤが使用されており、凍結道路でも滑らないのである。しかし、その後、このタイヤは道路を削り、人体に影響があるので使用中止になるのである。凍結した道路をスパイクタイヤであるので、安心しつつ、喜びつつ走行したものである。その頃、教会の牧師の務めを持っていたが、そんなに忙しくもないので、幼稚園バスの運転をする。マイクロバスで雪道を走行したのであるが、その頃の若さを思い出している。
神奈川県に住むようになり、雪が降っても普通タイヤで自動車を走らせている都会の皆さんには驚く。都会の皆さんはタイヤ用のチェーンはもっていない。めったに雪が降らないので必要ないのである。しかし、持っていてもチェーンの付け方を知らないのである。雪の日は車に乗らないことである。降雪時の困難を経験しているが、懐かしさもあるのである。

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数年前には大雪が。

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慣れない雪かきで汗を流し。
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