隠退牧師の徒然記<482>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<482>
2019年5月20日「新しい時代に入り」


聖書の言葉
「新しい歌を主に向かって歌え。主は驚くべき御業を成し遂げられた。右の御手、聖なる御腕によって、主は救いの御業を果たされた。」
旧約聖書詩編98編1節)


日本は天皇が5月1日に代替わりし、「平成」から「令和」の元号になった。そのことで「新しい時代」と称するようになり、何事も「最初」という記念を喜んでいるようである。私たちは元号でなく、西暦を土台として歩んでいるので、ことさら「新しい時代」とは思わない。しかし、個人的に言うなら、5月10日をもって私も「新しい時代」に入ったのである。その日、私は80歳の誕生日を迎えた。79歳を歩む中でも、次第に誕生日が近づくにつれ、何となく「終わり」の思いが強くなっていた。79歳と80歳では随分と異なると思うのである。今までも高齢者であるが、その高齢者が重くなったというわけである。今日まで神様のお導きをいただき、今の自分の存在を深く感謝している。
5月10日、その日は幼稚園の執務日であり、午前8時頃には幼稚園につく。何しろ家から幼稚園まで2時間を要する。朝の4時には起床し、6時前には家を出るのである。今は朝の4時には明るくなっているが、冬のころは、まだ真っ暗である。暗い道を駅まで15分歩くこと、何となく物騒な思いである。しかし、今は明るい道を歩くことができている。
幼稚園につき、職員室の園長机の前に座っていると、先生が一人の園児、女の子を連れてきた。「園長先生にお話があるのですって」と言いつつお友達を私の前まで連れてくる。「エンチョウセンセイ、オタンジョウビオメデトウ」とお祝いの言葉をいただく。今日、初めて言われるお祝いの言葉である。うれしく祝辞をいただいたのでるが、先生が言われるには、実はそのお友達も同じ日のお誕生日なのである。昨年のお誕生会でそのお友達と同じ日であることを知り、お祝いを述べておいたのである。そのことを覚えていたお友達が、いち早く祝辞を述べてくれたのである。それからが大変な喜びとなる。園長が廊下を歩くと、先ほどのお友達のクラスの皆さんが教室から出できて、口々に祝辞を述べてくれるのである。結局、幼稚園中に園長の誕生日が知れ渡り、お友達と共に先生たちまで祝辞を述べてくれるのであった。
お祝いの言葉と共に私の新しい時代が始まったのであるが、さて、新しい時代をどのように歩もうか。今与えられている幼稚園の園長職は暫定的なので、むしろ、その後の歩みであろう。2010年に現役を隠退したが、まだ余力があるということで、牧師不在の教会の代務牧師になったり、幼稚園の園長を担ったり、いくつかの教会の礼拝説教に招かれたり、70歳代は現役並みに努めさせていただく。しかし、80歳代になると、もはやお呼びがなくなってくる。「去る人は日々に疎し」との言葉があるが、次第に忘れられていくのである。しかし、このブログは続けていくので、また説教も公開するので、安否を尋ねてくださる皆さんには、何となく過ごしていることをお知らせできるであろう。それに六浦谷間の集会を開いているので、時には出席してくださる皆さんとのお交わりを楽しみにしている。額の皺、薄い髪の毛、もうあんまり気にしなくなるだろう。新しい時代なので…。

f:id:noburahamu2:20190510095541j:plain
伊勢原幼稚園のたたずまい。子どもたちと過ごすことはこの上ない喜びである。
f:id:noburahamu2:20190528154313j:plain
六浦谷間の集会。イースター礼拝をささげる。
f:id:noburahamu2:20190528154450j:plain
スペインにいる羊子と義也。孫の成長も新しい時代の希望である。