隠退牧師の徒然記<487>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<487>
2019年7月1日「お交わりが支えとなって」


聖書の言葉
「キリスト・イエスに結ばれてわたしの協力者となっている、プリスカとアキラによろしく。命がけでわたしの命を守ってくれたこの人たちに、わたしだけではなく、異邦人のすべての教会が感謝しています。(新約聖書・ローマの信徒への手紙16章3-4節)


このところ親しくお交わりをいただいた方々が天に召され、改めてお交わりを感謝したのである。去る6月23日には前秦野教会牧師の青木勝次先生が召天された。27日に葬儀が行われたので列席させていただいた。葬儀は秦野のセレモニーホール冨士見斎場であり、本来は秦野教会で行われるべきところ、幼稚園もあり、斎場にしたのであろう。記念会は7月6日に秦野教会で行われるということである。秦野教会は大塚平安教会と同じく湘北地区内の教会であり、地区の会合では同教会の皆さんともお交わりをいただいている。1979年9月に宮城県の教会から大塚平安教会に赴任してから間もなく、湘北地区牧師会が開催される。集会後、帰ろうとすると翠ヶ丘教会牧師の早川規先生と青木先生が呼びとめられた。このまま帰るのではなく、しばしお交わりをしましょうということなのである。宮城の教会時代は、このようなことはない。隣の教会は車で30分以上も離れていることであり、会合が終わればゆっくりするどころか、すぐさま帰途に就くのである。その点、都会の教会は電車やバスの利用があり、そんなに急いで帰らなくてもよいのである。早川、青木先生たちとのお交わりは、生まれて初めての経験ということになる。それからは牧師会と言えば、この三人でしばらくお交わりをするようになる。その後、早川先生にしても青木先生にしても幼稚園の評議員を担っていただくので、会議の後のお交わりもあったのである。同じ地区なので、何かと地区の歩みを担ったのである。今でも続いている湘北地区生徒大会は早川、青木先生と共に立ち上げたのであった。さらに2・11集会は、他の地区ではデモ行進などをしていたが、湘北地区では信教の自由を守る合同祈祷会として守るようになった。これも早川、青木先生と共に集いを定着させたのであった。
早川先生はその後、翠ヶ丘教会を退任し、群馬県前橋で伝道するようになる。青木先生や他の牧師たちと共にしばしば前橋を訪れていた。その早川先生はすでに召天されている。そして青木先生が召天され、取り残された思いがあるが、いただいたお交わりを励みとすることにしたい。そういえば3月頃であったが、携帯電話に青木先生から受信する。まったく珍しいことであった。以前より体調を悪くされていることは知らされていた。まさか電話をいただくとは思っていなかったのである。その後の安否を尋ねてくれたが、そのころはかなり病状が進んでいたようである。その時、お会いする約束をすればよかったと思っているのであるが、幼稚園の執務中であり、お会いすることのお話までは進められなかった。
今は天におられる皆さんとのお交わりは、大きな励ましになっていると思う。

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平塚市の総合運動公園。バラ園がとてもきれいであった。
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