隠退牧師の徒然記<493>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<493>
2019年8月12日「おじいさんは山に芝刈りに…」


聖書の言葉
草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。草は枯れ、花はしぼむがわたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。
旧約聖書イザヤ書40章7-8節)


鈴木家の庭は草ぼうぼうの状態であった。草取りを思いつつも一日おきに幼稚園勤務なので、手が付けられないでいた。草取りで疲労が出て、幼稚園勤務に差しさわりが出ると思っていたのである。そんな思いの中で、夏休みに期待していた。夏休みでも幼稚園勤務があるが、週に一度くらいの出勤なので、草取りの絶好の機会なのである。しかし、夏休みになるものの日中は猛暑日である。到底、草刈りなどできない。そこで朝の5時半ころから作業を始めることにした。しかし、7時前には終了である。なれない草刈りは、すぐに身体に応えるのである。草ぼうぼうの庭を眺めては、後ずさりする思いである。テレビのコマーシャルで草刈り機の紹介をしている。草ぼうぼうの広い庭も、その草刈り機を使えばあっという間にきれいになる。高いところの庭木の手入れもできるという。いっそのこと購入しようかと思うのである。しかし、草刈り機を使用するほど広い庭でもないので、ここはやはり手作業で行うことにしたのであった。
毎日、約1時間の草刈り作業であり、二週間もすれば何とか草ぼうぼうの庭が変身したようだ。こうなると庭仕事に愛着が出てきて、これだけの庭があるのだから、いろいろな取り組みができるのではないかと思う。野菜の収穫、花の鑑賞等、庭いじりの楽しみがあるだろう。幼稚園の職務が終わったら、そんな楽しみで過ごしてもいいかな、なんて思っている。
草刈りで思い出しているのは、大塚平安教会時代に福島県相馬地区の浪江伝道所で草刈り奉仕をしたことであった。大塚平安教会出身の吉田傳治牧師が浪江伝道所に就任する。早速いただいたお便りは、草ぼうぼうの庭のことであった。それで、壮年会の渡辺魁さん、そして青年会の4、5名が参加してワークキャラバンを組織して、浪江伝道所に赴いたのであった。庭にある十字架塔の十字架そのものが錆びており、渡辺さんが危険を犯して塗装したのであった。青年の皆さんは庭の草刈り、建物のペンキ塗りなど、まあ楽しく仕事をさせていただいたのである。その浪江伝道所は東北関東大震災津波に流され、その後、伝道所は閉鎖されたのである。
私の父はかなり畑仕事をしていた。今は住宅になっているが、山の傾斜を切り開いて畑を作り、収穫してはご近所に差し上げていたのである。戦後の食糧難の時代、父の収穫したサツマイモやカボチャ、トウモロコシの代用食で過ごしていたのである。せっかく庭のお恵みがあるのだから、有効に生きがいを見つけることにしようと思う。
おじいさんは山に芝刈りに、おばあさんは川に洗濯に…。物語が現実になりつつある。

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草ぼうぼうの庭を何とかしようと。
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おおざっぱであるが、何とか草刈りを完了。
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