隠退牧師の徒然記<494>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<494>
2019年8月19日「常夏の国に思いをはせながら」


聖書の言葉
わたしは、昼も夜も祈りの中で絶えずあなたを思い起こし、先祖に倣い清い良心をもって仕えている神に、感謝しています。
新約聖書・テモテへの手紙<二>1章3節)


マレーシア在住の諸江修さんからお手紙をいただく。諸江さんはクアラルンプール日本語キリスト者集会(KLJCF)の中心メンバーである。私はそのキリスト者集会には2013年3月から6月までボランティア牧師として赴いている。同集会は2012年3月まで専任の牧師がおられたが退任された。そのため同集会は日本基督教団に協力を求めたのである。教団は同集会に専任の牧師が決まるまでボランティア牧師を派遣することになったのである。期間は原則として三か月間である。パスポートの許容期間、ボランティア牧師として務めるのである。多くの場合、隠退牧師か無任所牧師に要請している。その要請を私も受けたということである。その後、2013年12月から2014年2月まで要請されたのが山本将信牧師である。その山本先生が2019年7月15日に召天された。諸江さんのお手紙は、そのお知らせと山本先生を天にお送りしたお悲しみが綴られていた。諸江さんは山本先生が日本に帰国されてからも、毎日のように文通をされていたといわれる。山本先生も諸江さんの文通にお応えになって、お手紙をくださっていたということである。
諸江さんのお手紙をいただくことにより、しばしクアラルンプール日本語キリスト者集会で過ごした三ヶ月を懐かしく思いだしていた。マレーシアは常夏の国である。しかし、暑いといっても汗が出るほどではない、日本のように湿度がないからである、一日に一度はスコールがやってくる。雷が鳴ったかと思うと滝のような大雨となる。一時間もすれば通り過ぎ、道路も車もきれいになるというわけである。部屋は一日中冷房が効いているし、常夏と言っても、暑いという印象はない。集会にはいつも20名くらいは出席していた。日曜日の午後4時から礼拝をささげていたのである。キリスト兄弟団の教会の集会所をお借りしての礼拝であった。礼拝後はお茶の会でお交わりを持っていたが、その他の集会は家庭集会である。婦人会や若手婦人会、お仕事会等、家庭で開かれていた。礼拝は4時からであったので、終われば夕刻であり、多くの場合、有志であるが夕食会を開くのが常であった。帰宅して夕ご飯の支度をするより、皆さんと共にどこかの食事処で会食した方がよいのである。牧師館は13階建てのコンドミニアムのマンションにある。3LDKは牧師夫婦だけではもったいないと思う。滞在中、娘の羊子がスペインからやってきて、チャペルコンサートを開いたことも懐かしい思い出になっている。言葉もマレー語、英語が中心で、むしろ英語の方が通じるのである。マレーシアでの滞在記録はブログで公開している。懐かしく再読している。また赴くことはないと思うが…。

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クアラルンプール日本語キリスト者集会。集会所の前で。2013年4月の写真。
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滞在中に誕生日を迎え、夫婦でお祝い。広い牧師館で。2013年5月の写真。
noburahamu2.hatenadiary.org