隠退牧師の徒然記<517>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<517>
2020年1月27日「聖画が示すこと」


聖書の言葉
エスは、最初のしるしをガリラヤのカナで行われ、栄光を現された。
ヨハネ福音書2章11節)

大塚平安教会は、今年のカレンダーは「最後の晩餐」の聖画になっている。いくつかの「最後の晩餐」の絵があるが、今回は初めて見る絵でもある。昨年の場合は「カナの婚礼」であった。イエス・キリストが、その活動を始めたとき、まずカナの婚礼で奇跡をおこなわれたことであり、「最初の出来事」なのである。イエス様がガリラヤのカナの村で婚礼に招かれる。お弟子さんたちも一緒であるが、イエス様の母でもあるマリアさんもその婚礼の場にいる。お祝いの振る舞い酒、ぶどう酒がついになくなってしまう。そのことでマリアさんはイエス様に、ぶどう酒がなくなったことを告げるのである。それに対してイエス様は、「わたしの時はまだ来ていない」といわれる。ここで示される「時」とは、イエス様の救いの十字架のことであり、ぶどう酒がなくなったことへの救済ではない。しかし、そうは言いながらもイエス様は、その場にいる召し使いたちに、大きな水がめに水を満たすよう指示するのである。満たされた水がめの水を婚礼の世話役にもっていったところ、それはおいしいぶどうに代わっていたのである。そのことで、世話役は婚礼の花婿さんを褒めたのであった。多くの場合、最初は良いぶどう酒を出し、酔いが回ったころには悪いぶどう酒を出すからである。人々はこのイエス様の奇跡を知らないまま喜んだのであった。
そういう絵なのであるが、このカナの婚礼の聖画もいろいろな人がか描いている。昨年使われたカナの婚礼の聖画もそれなりに示されることがある。しかし、数年前には、違った作者の「カナの婚礼」がカレンダーに使われていた。その現物を鑑賞することになる。2011年にスペイン・バルセロナにいる娘の羊子のもとで滞在する。連れ合いのスミさんと二番目の娘の星子とである。羊子は私たちの滞在中にフランスの三大美術館に連れて行ってくれた。ルーブル、オルセー、オランジュリーの三大美術館である。それらの美術館で、複製の聖画で見たことのあるミレー、ルノアールゴッホ等の原画を鑑賞することになり、良い経験をしたのであった。「カナの婚礼」の原画を鑑賞することになる。カレンダーでも使われたので、絵の内容は知っていたが、その絵の前にたたずんだ時、というよりその絵を見上げることになる。とても大きく絵が画れていた。なにしろ縦6.6メートル、横 9.9メートルの大きさである。
 前回、横浜本牧教会の吉澤暢紘さんのご召天にあたり、人生の証しを示されている。吉澤さんは歌うことに賜物を持ち、合唱団に所属されていた。そこで、「マタイ受難曲」等のキリスト教の名曲を歌う中で、教会に導かれたのであった。毎年のカレンダーでキリスト教の聖画を示されながら歩むとき、その世界に引き込まれていくことは確かであると思う。今年の「最後の晩餐」の意味を示されなければならない。

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2019年の聖画カレンダーは「カナの婚礼」であった。
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ルーブル美術館に展示されている巨大な聖画、「カナの婚礼」。
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2020年の聖画カレンダーは「最後の晩餐」。
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