隠退牧師の徒然記<518>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<518>
2020年2月4日「春になったので」


聖書の言葉
兄弟たち、主が来られる時まで忍耐しなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。(ヤコブの手紙5章7節)


2月4日は立春と言われる。春になったといわれるが、まだ寒さがあり、気候の変化にいつも気にしているところである。しかし、立春になったということで、春になったとの思いが深まるのである。立春とは、日本では二十四節気と言われる一つであるが、昔から季節の移り変わりを示しているのである。12月21日が冬至であり、夜の一番長い日であった。それから一ヶ月が過ぎているが、朝方が次第に明るくなりつつあることを喜んでいる。幼稚園勤務の日は、朝は午前5時40分には家を出る。まだ暗い夜道である。駅まで約15分歩くのであるが、暗い夜道は何となく不安でもある。しかし、最近は夜道といっても明るくなっていることを感じる。春分の3月20日ころには、この時間も明るくなっていることであろう。夕刻の5時頃は、ひところは暗くなっていたが、陽が延びているので、明るくなっているのであった。もう春であると示されているのである。
4日は立春であるが、その前日は節分でもある。季節の分かれ目を示すのであるが、この日は豆まきが行われる。寒い間、家の中に存在する悪い存在を追い出すことなのであろう。小さい頃には、我が家でも豆まきが行われていた。父が大豆の豆をまく行事を楽しんでいたものである。まかれた豆は煎り豆であるので、自分の年齢の数だけ拾って食べるのであった。そんな素朴な豆まきを思い出すだすのであるが、最近の豆まきは次第に変わってきているようだ。数年前に、散歩の途中、豆まきの現場を見学したことがある。その頃は、幼稚園の務めもなく、毎日、午後になると散歩と称して2時間近くも歩いていたものである。しかし、2016年から幼稚園勤務が始まり、今は散歩はしなくなっている。幼稚園の行き帰りで散歩の距離を歩くからである。豆まきの現場を見学したのは金沢八景にある瀬戸神社である。豆まきは何回か時間によって行われていた。立ち寄った時は、その合間であり、30分は待たなければならなかった。めったに見学できないので、境内に座り込んで、その時間を待ったのであった。やがて豆まきが始まる。まく人は町の名士といわれる人たちであろうが、子どもたちもまき人であった。「福はうち、福はうち」と言いつつ豆をまいていた。今は「鬼は外」とは言わないようだ。鬼は外に追い出されても、またどこかに入り込むからなのだろう。その豆は小さい袋に入れられており、豆は地面に散らばることはない。掃除しなくてもよいようだ。両手を広げて受け止める人、帽子で受けている人など楽しい風景であった。
間もなく「春分日」を迎えるが、今年は閏年なので3月20日であるという。この期間は幼稚園の卒園生を送り出すこと、新入園児のお迎えの準備であり、寒いながらも心が弾むときとなっている。祝福の歩みとなることを願いつつ。

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神社の豆まき風景。楽しく見学した。
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わが家の庭にも春のお告げ、ふきのとうが。
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