隠退牧師の徒然記<520>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<520>
2020年2月17日「2月14日を示されながら」


聖書の言葉
家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。
(マタイによる福音書2章11節)


特に期待しているのではないが、もしかしたらの思いを持っていた。その日は幼稚園の執務で、夕刻帰宅したのであるが、郵便ポストには何やら小包が配達されていた。そう、期待していた方からの贈り物である。その日は2月14日である。毎年、この方からチョコレート菓子が送られてくる。宅急便で送られてくることがあるが、今回は郵便で送られてきた。なんともありがたく、夫婦でその方のことを語りあいながらおいしくいただいたのであった。今ではこの方から送られてくる以外には、どこからもいただかないからである。それはそれでよいのであるが。前任の幼稚園時代、2月14日はチョコレートが飛び交う状況であった。子供たち同士で贈りあうのである。しかし、それは一個ずつであり、もちろん箱入りのものではない。園長室にも前後して子どもたちがチョコレートを持ってきてくれるのである。楽しいことであるが、チョコレートを贈りあうこと、あまりよくない傾向であり、中止にしたのであった。チョコレートを持ってこれないお友達もあり、贈られないお友達もあり、やはり問題があるからだ。もっとも先生たちもひそかに下さるので、それは中止にしなかたのであるが。
2月14日は楽しい思い出があるが、たまたまこの日に召天されたお二人のことを示されるのである。お一人は1986年に召天された井馬栄さんである。この方は海上保安庁管区長までされた方であるが、定年と共に教会生活をされるようになる。礼拝後に急に立ち上がり、最近示された聖書の言葉として、その場で聖書を朗々と読まれるのであった。教会の役員も担っている。特に忘れられないのは、牧師の健康を気遣って下さり、「竹枕」を作ってくださった。枕であるが、中は細かく切った竹なのである。通気性もあり、健康に良いからと推奨してくださる。ありがたくその夜は枕としたのであるが、竹がごろごろと、しかも痛さもある。ありがたいのであるが、一度、頭を枕に当てた以外は使わなんった。健康器具といえば「青竹ふみ」も作ってくださる。これはふろ上がりにちょうど良く、しばらくは竹を踏んでは湯上りを楽しんだものである。
いつも心に示されるのは、井馬さんの書斎を訪ねたとき、メモ書きであったが、次の言葉である。「キリストはわが家の主、食卓の見えざる賓客、あらゆる会話の沈黙せる傾聴者」。これを井馬さんが作られた言葉であると思っていたが、詠み人知らずの言葉で、けっこう皆さんが心に示されているようである。この言葉が彫刻として刻まれており、さっそく求めて食卓に掲げている。その言葉を読むにつけ、井馬さんの信仰を示されているのである。キリストがいつも共におられる信仰は、祝福の人生であったと示されているのである。

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嬉しい贈り物。もう半分は食べちゃって。
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詠み人知らずの彫刻を食堂に飾っており。
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この言葉を読むにつけ、導かれている。
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