隠退牧師の徒然記<596>

牧師の隠退徒然記(2016年3月1日~)<596>
2021年8月2日「山とか海とか示されながら」

聖書の言葉
イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んだが、そのとき、水は彼らの右と左に壁となった。主はこうして、その日、人々を救われた。(出エジプト記14章29節)

毎日、オリンピックのいろいろな競技を示されているが、やはり競技の結果が気になる。報道にしても、金メダルを目指している内容であり、もちろんメダルを取れば喜ばしいことであるが、メダルが取れなくても競技に参加したことで、祝福してあげたいと思っている。前回はオリンピックの諸競技を示されながら、自らの山登りの体験を振り返ったのであった。8月には「山の日」があるが、オリンピックの開催日は「海の日」でもあった。やはり夏ともなれば山や海を楽しむことであり、これらを示される休日を喜んでいるのである。前回のブログで、私の人生と山との関係を記したのであるが、今回は海との深い関係について記しておきたいのである。
住んでいる場所は私が4歳頃からである。生まれた場所は横須賀市であり、追浜飛行場の近くであった。戦争が激しくなってきたとき、飛行場の近辺は危険であるということで強制転居させられた場所なのである。この場所から野島海岸は歩いても30分くらいである。少年の頃は、その野島海岸に泳ぎに行ったのであった。友達のお父さんが船大工さんであり、ボートがあったので、その友達とボートに乗っては海の遊びを楽しんでいたのである。もちろん最初から泳げたわけではない。いつから泳げるようになったのか、定かではないが、危なく溺れそうになったことがきっかけで泳げるようになったのであった。今は関東学院の前に侍従川があるが、以前は平潟湾であった。その湾の一部は運河であり、満潮の時にその運河付近で遊んでいたのであった。急に足が底につかなくなり、あっぷあっぷして溺れそうになっていた。その時、夢中になって平泳ぎで岸に向かったのである。それまでは平泳ぎもできなかったのである。それから泳げるようになり、海の水を喜ぶようになったのであった。もしかしたら溺れ死んでいたかもしれない経験でもあった。
そして高校生になってキリスト教の洗礼を受けた。その受ける決心をしたのが海の中であった。教会の青年会の修養会に高校生であったが参加する。海水浴のお楽しみがあり、いつの間に教会の牧師と共に泳いでいたのである。そして自然に洗礼を受ける告白をしたのであった。早速、10月の第一日曜日、世界聖餐日に洗礼を受けたのであった。洗礼には二つの方法がある。一つは全身を水の中に沈めるのである。初期の洗礼は全身を水に沈めるものである。水に沈めて、悪い姿を洗い流すという意味がある。その後、水は象徴であるので、水を頭に注ぐということで洗礼に変えたのである。それでも全身を水に沈めるという意味があるのである。水によって新しい命が与えられると言うことである。
こうして振り返ると、私の人生において、水の意味が深く示されているのである。再び海水浴をしてみたいと思いながらも…。

f:id:noburahamu2:20210802112103p:plain
野島海岸。向こうに見えるのは八景島シーパラダイス。少年の頃はなかったが。
f:id:noburahamu2:20210802112338p:plain
唯一残されている野島海岸の海水浴の写真。日曜学校の夏期学校で。前列左端。
f:id:noburahamu2:20210802112735p:plain
2013年にマレーシア・クアラルンプールの日本語教会の牧師。久しぶりにプールで泳ぐ。
f:id:noburahamu2:20200229162731j:plain
イスラエル旅行で、死海の浮遊体験。塩分が強いので沈まない。

noburahamu2.hatenadiary.org