隠退牧師の徒然記<542>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<542>
2020年7月19日「現在に至る原点を示され」


聖書の言葉
我々はエジプトでファラオの奴隷であったが、主は力ある御手をもって我々をエジプトから導き出された。主は常に幸に生きるようにしてくださった。(旧約聖書時代の信仰告白
申命記6章21-25節)


名簿が送られてくることがある。今日までの人生で、いくつかのところに所属しながら歩んで来たのであるが、その所属場所から名簿が送られてくる。多くの場合、今も存在している組織からである。最近では、牧師の原点である日本聖書神学校である。23歳にして入学し、29歳で卒業している。本来20期生の卒業生であるが、一年多く在学したので、21期生なのである。最も新しい卒業生は、今年の春の卒業生の2019年度、72期生である。50年も前に卒業したことになる。21期生は神学校創立からしても、比較的早い時期に卒業したのであった。送られた卒業生名簿を見ることで、出会ったみんなさんの一人一人を示されるのであった。
名簿と言えば日本基督教団の年金局からも毎年のように送られてくる。こちらは牧師の現役を退任した隠退牧師の名簿なのである。存じ上げていた諸牧師の皆さんの消息をしめされるのであるが、隠退した報告にもなるので、何となく寂しい思いで名簿を見るのであった。名簿の欄には、親しくしていた皆さんの欄に「逝去」と記されており、名簿の初期の頃は、ほとんどが「逝去」と記されている。そんな思いで見るのは寂しいものであるが、最近は名簿の意義を示されるようになっている。すなわち、その名簿に記されている限り、自分はその名簿の存在の中から今日に導かれているということである。自分の存在を確かにするという意義があるのである。
それと共に逝去欄の皆さんと、存命中は親しくお交わりしたことが思い出されるのである。そしてまた、お世話になった先生や先輩たちの、残されている言葉が今も励みとなっている。今でも書斎に掲げている色紙がある。神学校卒業時の校長先生は岡田五作先生であった。その年の卒業生をご自宅に招き、夕食をご馳走して下さり、そして色紙を下さったのである。用意された色紙の中から選んでいただいたのであるが、「ただ、この一事を務む」と筆字で記されている。この色紙は神学校を卒業して50年を経ているが、ずっと書斎に掲げているのである。岡田五作先生とは在学中にもいくつか出会いがあったが、神学校に入る前、私が高校生の頃に出会いを与えられている。その頃、キリスト教全国高校青年の集いが山中湖で開催されたので、神奈川教区の代表として参加したのである。その時の特別講師が岡田五作先生であった。「わたしは、おか・たごさく」ですとご自分を紹介したことが忘れないでいたのである。その紹介の言葉が、今も耳に残っているまま、下さった色紙を見つめているのである。「ただ、この一事を務む」と示されている「この」が、送られてくる名簿によって、改めて示されているのである。

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送られてきた卒業生名簿。
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卒業時の校長先生からいただいた色紙を掲げながら。
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バルセロナ在住の孫の義也君が、この7月で保育園を卒園する。卒園記念写真。
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日曜日には、教会のミサに出席。母親の奏楽を見守りつつ。

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