隠退牧師の徒然記<611>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<611>
2021年11月15日「祝福の人生を祈りつつ」

聖書の言葉
あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(ローマの信徒への手紙12章14-15節)


11月15日は私の三番目の姉の誕生日である。昔、小学生の低学年の頃、15日になるとある程度のごちそうが出るので、何となく不思議に思っていた。七五三については認識があり、しかし、我が家にはそのような幼児がいないのにと思っていたのである。後に知ったことはこの日は三番目の姉の誕生日であったのである。そのため、いつも七五三の日になると姉を示されるのであった。その姉は2013年に79歳で逝去している。その時、私たち夫婦はマレーシア・クアラルンプールに在住していた。この街にある日本人教会のボランティア牧師として滞在していたのである。4月30日の朝、日本にいる我が家の子どもから連絡が入り、姉が急逝したというのである。もちろん葬式には列席できないので、姉の連れ合いに電話にておくやみを伝えたのであった。
その11月15日は姉の誕生日であるが、お祝いの日であること、いろいろと思い出を示されるのである。幼稚園の園長を担っていたのであるが、11月になると園児のお休みが多くなるのである。いわゆる七五三のお祝いで、お宮参りに出かけるからである。キリスト教主義の幼稚園であり、しかし、七五三になると神社にお参りに行くのは不自然でもある。教会が七五三のお祝いをしないからである。それならば、というわけで、教会で七五三のお祝いをすることにしたのである。教会では七五三の年齢に限定するのではなく、幼児祝福式とした。幼子の年齢に関係なく、祝福のお祈りに与ってくださいとお勧めしたのであった。最初の幼子祝福式は教会の礼拝の中で行われた。50人くらいの祝福希望者があり、礼拝も2時間も要したのであった。そのため礼拝の中で行うのは時間を要するので、祝福式は日を改め、週日に行うことにしたのである。
七五三の祝福は家庭の希望でもある。しかし、キリスト教主義の幼稚園は、子ども達の祝福の成長であり、祝福の人生を歩むことが願いである。従って、何かと祝福のお祈りをするのであった。誕生会では牧師である園長が誕生児に祝福のお祈りする。11月になると全園児の祝福式を行う。家庭が希望する七五三の祝福式ではない。三歳児で入園したお友達は3年間で6回の祝福のお祈りをいただくが、卒業式にも証書授与と共に祝福のお祈りが与えられるので7回の祝福のお祈りいただくのである。そのように巣立っていった卒業生達である。祝福の人生を歩んでいると示されている。
「祝福」のお祈りをいただくことで、お祝いされたとの思いである。しかし、祝福とは単にお祝いではなく、人生の導きなのである。「自分と同じように、隣人を愛する」人生を歩むとき、隣人と共に幸せな歩みとなるのである。そのように歩むことが祝福の人生なのであり、単に本人の喜ぶ幸せではないということである。祝福の人生を歩みたい。

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誕生日会でお友達を祝福する。
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11月には全園児に祝福のお祈り。
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卒業式で修了証書授与と共に祝福のお祈り。

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