隠退牧師の徒然記<629>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<629>
2022年3月21日「レントのさ中船出する」

聖書の言葉
あなたの信仰は、まずあなたの祖母ロイスと母エウニケに宿りましたが、それがあなたにも宿っていると、わたしは確信しています。(テモテへの手紙<二>1章5節)

「レントのさ中船出する、主の働き人に幸多かれと祈る」と結婚式の祝電をいただいたのは、今から53年前である。レントとは四旬節の意味である。四旬とは40日の意味であり、イエス・キリストの復活までの40日であり、その40日はキリストの十字架への道、苦難の歩みである。今年は3月2日より始まり復活日4月17日の前日、4月16日まで続くのである。キリストの十字架は人間を救うためであり、キリスト教の人々はその苦難の日々を偲びつつ歩むことになっている。そのレントのさ中、3月21日に結婚式となる。牧師になるために神学校で学ぶこと6年間、1969年3月に卒業となり、いよいよ4月から伝道者として教会に遣わされる。その頃、神学校の先輩から言われていたことは、教会に赴任する前に結婚するか婚約をしなさいと言うことであった。教会での職務が始まるのであるが、伝道者として職務を全うするためにも恋愛等に至らないようにとの助言なのである。今時、そんなことを言われたら人権侵害と言うことになりかねない。幸い在学中に将来の伴侶が与えられ、神学校卒業と同時に結婚することになる。毎年、3月下旬ころは四旬節、レントのさ中なのである。祝電をくださったのは先輩の牧師であった。
 23歳で神学校に入る。同級生の中に北海道の教会出身者がいた。2年生になったとき出身教会の牧師が、夏休みは出身教会に帰り、いろいろと奉仕しながら学びなさいと言われる。それを夏期伝道と称していた。ところがその友達は都合で行かれない。それで私に打診するのである。自分の代わりに行ってもらいたいと。夏休み中のことなので承諾する。その頃は新幹線もなく、東北本線の急行「つばめ」で8時間もかけて函館に行く。そこから青函連絡船に乗ること4時間、函館から3時間かけて現地の教会に赴いたのであった。その教会での夏期伝道が始まりであった。そして、冬を迎えたとき、北海道の冷害と言うことで、その牧師が新聞で全国に呼び掛けたのである。多くの寄付金が寄せられ、その援助活動で春休みになってから手伝いに行ったのであった。社会的にも多忙な牧師を見かねて、神学校を一年間休学して手伝おうと思うようになる。しかし、その思いは当時の校長先生に止められ、そのまま学びを続けることになる。もし、休学していたら、どのような道を歩むことになったのか、そんなことを今思っている。その牧師が苦難の多い伝道者の出発をお祈りくださったと示されているのである。
 結婚53周年は伝道53年にもなる。最近の牧師のお連れ合いの中には、自分は伝道者ではなく、単に連れ合いに過ぎないと言われる。確かにそうであるが、伝道者と結婚したのだから、共に歩むことであろう。私の連れ合いは伝道者であると思っている。私が牧師であれば、牧師と共に歩む牧師の連れ合いなのである。53年間、感謝しつつ歩んできた。

f:id:noburahamu2:20220321104757p:plain
宮城の陸前古川教会。今は新しい教会となり、思い出のたたずまいである。
f:id:noburahamu2:20220321105047p:plain
神奈川県にある大塚平安教会、今は新しい教会となり、幻の教会でもある。
f:id:noburahamu2:20220321105236p:plain
大塚平安教会の聖壇。これも幻の存在であり。
f:id:noburahamu2:20220321105548p:plain
横浜本牧教会の聖壇。 noburahamu2.hatenadiary.org