隠退牧師の徒然記<659>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<659>
2022年10月17日「いつまでも感銘を与えているので」

聖書の言葉
主は契約を告げ示し、あなたたちが行うべきことを命じられた。それが十戒である。主はそれを二枚の石の板に書き記された。」(申命記4章13節)


神奈川県にある教会に赴任したのは40歳の頃である。まだ、駆け出しの牧師と言うことになる。それなりに一生懸命になって伝道に励んだのであった。その一つは、世の人々に聖書の言葉を示すことであった。ベニヤ板一枚に聖書の言葉を記し、教会の道路側の垣根に掲げたのであった。月に一度くらいは書き換えては掲げていたのである。そんな経験があるので、思わぬことに挑戦することになる。幼稚園の園長をも担っていたので、先生達とはいつも話し合っていた。ある日、主任先生が、「とても良い詩です」と言いつつ示されたのが「天国の特別な子どもたち」であった。この詩はキリスト教の幼稚園関係の雑誌に掲載されていたのである。「ぜひ、保護者の皆さんにも読んでいただきたい」と言われ、どこかに掲示してくださいと依頼されたのである。掲示と言い、どのような形にするとも言われないし、はて、どうしようか、と思い悩む。それで思いついたのは、聖書の言葉をベニヤ板一枚に書いては掲示しているので、同じような形で掲示することであった。丁度、夏休みに入り、教室を作業場として取り組んだのであった。聖書の言葉は、短い言葉であったので、大きな字で書いていた。しかし、この詩を書くとしたら、ベニヤ版一枚に書くので、かなり小さく書かなければならないのである。書き始めて10日も要したと思う。就任したのは1979年であり、その翌年には制作したということである。従って、このところ記している「あっという間の5年間」である。完成したものの、掲げる場所をどこにするか。当時はまだ木造平屋建てのホールがあったので、その一角に掲げたのであった。しかし、その一角に掲げたものの、保護者の皆さんが読む機会がないのである。その木造平屋建てのホールを増改築したのは1993年であり、玄関ホールが造られる。そして、さっそく「天国の特別な子どもたち」の詩をこの玄関ホールに掲げたのであった。それにより多くの皆さんがこの詩に出会うことになったのである。涙を流しつつ読まれたと言われる。心が揺さぶられたと言われる方も。子どもと共に歩む勇気が与えられましたとも言われる方も。思い出しては皆さんのご感想を感銘深く受け止めているのであるが、この詩をベニヤ板に書いて、大きな額にして掲げたこと、それが今でも残されていることを喜んでいるのである。もう一度、しみじみと詩を示されたい。

「天国の特別な子どもたち」
会議か開かれました。
地球からはるか遠くで「また次の赤ちゃん誕生の時間ですよ」
天においでになる神様にむかって、天使たちは言いました。
「この子は特別な赤ちゃんで、たくさんの愛情が必要でしょう。
この子の成長は、とてもゆっくりみえるかもしれません。
もしかして、一人前になれないかもしれません。
だから、この子が下界で出会う人々に
とくに気をつけてもらわなければならないのです。
もしかしてこの子の思うことは中々わかってもらえないかもしれません。
何をやっても、うまくいかないかもしれません。
ですから私たちは、この子がどこに生まれるか
注意深く選ばなければならないのです。
この子の生涯が、しあわせなものとなるように
どうぞ神様、この子のためにすばらしい両親をさがしてあげてください。
神様のために特別な任務をひきうけてくれるような両親を。
その二人はすぐに気がつかないかもしれません。
彼ら二人が自分たちに求められている特別な役割を。
けれど、天から授けられたこの子によって
ますます強い信仰と豊かな愛をいだくようになるでしょう。
やがて二人は、自分たちに与えられた特別の
神の思し召しをさとるようになるでしょう。
神からおくられたこの子を育てることによって。
柔和でおだやかなこのとうとい授かりものこそ
天から授かった特別な子どもなのです。」
エドナ・マシムラ作、大江裕子訳

聖書の言葉を書いては掲示し。
ベニヤ板一枚に詩を書いて。
玄関ホールに掲げたので、多くの皆さんが感銘を与えられ。

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