隠退牧師の徒然記<660>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<660>
2022年10月24日「やはり節目を持っておきたくて」

聖書の言葉
あなたたちは、奴隷の家、エジプトから出たこの日を記念としなさい。主が力強い御手をもって、あなたたちをそこから導き出されたからである。(出エジプト記13章3節)


1984年に大塚平安教会は創立35周年記念のときを持った。35周年と言う中途半端な数字であるが、本当は30周年記念を行いたかったのである。ところが、その大事な時に牧師の異動があり、開催を見送り、35周年にしたのであった。それについてはすでに報告している。35周年を迎えたとき、共に歴史を刻んでいる幼稚園も節目のときを持つことが願いとなる。35周年が終わると共に幼稚園の25周年の準備が始まるのである。準備については幼稚園の歴代母の会の会長さん達にお集りいただく。そのお集りが基となり、幼稚園の後援会が発足する。そして、後援会の具体的な活動が会報の発行であった。一年に一度、卒業生と幼稚園を結ぶパイプ役としての働きである。会報については前記しているが、この10月には36号が発行されたばかりである。幼稚園の25周年記念は1987年6月7日に開催している。130名の皆さんがお集まり下さり、記念のときを持つ。記念として「25周年記念誌」の発行、幼稚園の佇まいの絵葉書を発行する。記念誌には卒業生や保護者の皆さんの原稿もいただいている。いろいろな思い出が記され、貴重な資料ともなっている。記念誌には、幼稚園の創立に携わった乙幡和雄牧師や角田敏太郎さんが設立からの歩みを記載してくださっているので貴重な資料にもなっている。
25周年の記念を迎えるために歴代母の会の会長さん達にお集まりいただき、今後の取り組みを話し合ったことは、大きな意義を生み出したのである。後援会と言う組織を立ち上げたことである。その後援会が会報の発行を担うようになったが、後援会そのものも、幼稚園を背後から支える使命を持ち、幼稚園と共に歩むようになっている。毎年の秋にはバザーを開催しているが、後援会コーナーを設けるので、保護者の皆さんの同窓会の場にもなっている。
25周年記念式にはその当時、幼稚園の理事であった伊藤忠利先生は欠席であった。お身体を損ねて病院に入院されていたのである。この伊藤先生は相模原教会の牧師であるが、その前は横浜上原教会の牧師であった。その時代にこちらの幼稚園が設立され、同教会から何かとご援助をいただいたのである。そのようなこともあり、学校法人の理事としてご指導をいただいたのである。25周年記念式には、お世話になった皆さんに感謝状と記念品を差し上げたのであるが、伊藤先生はご欠席であったので、後日、病院に入院中の先生をお訪ねし、感謝状をお渡ししたのであった。その時、感謝状をお届けする程度のつもりでいたが、先生は感謝状ですから、読んでお渡し願いたいと申されたのである。確かにその通りであり、感謝状を読み上げたとき、先生はベッドに正座し、恭しく感謝状をお受け下さったのであった。病室の他の皆さんは感謝状を受理する先生に拍手してお祝いしてくださる。この先生への感謝状授与が忘れられない。
25周年の節目をお祝いしたことは、その後に大きな存在を残すことになり、まことに意義のある節目であったと示されている。

教会の記念誌発行後、幼稚園も記念誌を発行し。

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