隠退牧師の徒然記<577>

牧師の隠退徒然記(2016年3月1日~)<577>
2021年3月22日「終わりを迎えて」

聖書の言葉
エスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。(ヨハネによる福音書21章25節)


3月は「終わり」の時であるが、しかし、4月からの希望があるので、むしろ喜びつつ終わりを迎えるのである。今までは、そのような思いで3月を迎えていた。しかし、今回の終わりは次の進路が決められてないので、4月からの希望はない。このような言い方は、若い時の表現であろう。3月で勤めていた幼稚園の園長を退任することになり、4月からは何かの定まった職務があるわけではないので、これで「終わり」との思いが強い。しかし、だからと言って、4月からの歩みについては希望がないと言っているのではなく、いろいろと示されているのである。職務を解放され、これからは草花に手を出し、せっせと歩こうかと。
13日が卒園式であり、16日が在園生の終業式であった。最後の終業式礼拝をおこなったとき、在園生の皆さんがお別れの時を持ってくれた。お友達や先生達のメッセージファイルが贈られる。またきれいなお花もいただく。帰宅して皆さんからのメッセージを読む。わずか3年間の務めであるが、皆さんからのメッセージを読むと、なんだか、ずっと長く務めたような、そんな思いになる。今回も終わりの時に記念品をいただいたが、今までもいただいた記念品が、今も語り続け、当時を思い出させてくれている。2010年3月に大塚平安教会を退任した時、教会学校からの記念品があり、いまでも掲げられており、また飾られている。そして、ドレーパー記念幼稚園の皆さんからの記念品がある。さらに、その後務めた早苗幼稚園における記念品もある。本当にいつまでも心に示される贈り物なのだ。今回の贈り物も、老後の歩みを励ましてくれるであろう。お友達からのメッセージで多いのは、「エンチョウーセンセー ダイスキ」であり、「セイショノ オハナシ アリガトー」であった。今回の園長の職務はお友達が示しているように、お友達とのお交わりであり、聖書のお話をすることであった。その務めをお友達が受け止めてくれたこととして、お友達のメッセージをうれしく思っている。卒業するお友達の皆さんからは、それぞれの写真が貼られてあった。いつまでも、この元気なお友達を忘れないであろう。
実は2010年3月に大塚平安退任するとき、送別会を開いて下さり、その時、記念写真を写したのであった。記念の写真はこの10年間、隠退後の歩みを励ましてくれていた。もちろん今でも同じであるが、最近思うことは、もうそろそろ掲示するのを止めようかと思っている。大勢の皆さんの集合写真であり、何時も皆さんを思い出しているのであるが、10年の間に数人が召されているのである。お元気なお姿と共に、今は天国であるとの思いは、歴史を変えてしまうようでもある。
お友達からのうれしいメッセージは、この心にしまわれており、折に触れて思い出され、励ましてくれるであろう。目に見える宝物より、心にしまわれている宝物なのだ。
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園長退任に当たり、お友達と先生達から贈られたメッセージファイル。
noburahamu2.hatenadiary.org