隠退牧師の徒然記<672>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)時<672>
2023年1月16日「いろいろな新しさがあり」

聖書の言葉
パウロは請願を立てていたので、ケンクレアイで髪を切った。
(使徒言行録18章18節)


新年と言うことで、今までとは異なることの経験とか、生活をすることで新しさを示されるものである。幼少の頃、お正月と言うことで新しい服を着せられたので、新年の喜びを得たものである。幼少に限らず、新年と言うことで、新しいものではなくても、洗濯したシャツ等を着ることで新年を迎えていたようでもある。昔から今に至るまで、新年の習慣にもなっているようなことがある。新年になると共に床屋さんに行くことである。わざわざ新年に行くようにしているのではないが、いつの間にか新年に行くように仕向けているようでもある。若い頃は毎月床屋さんに行っていたのであるが、この年にもなると、二、三ヶ月に一度の床屋さんになっている。そうすると12月頃に行くと、次に床屋さんに行くのは2月や3月になる。やはり新年は新しい姿になることについては昔からの習慣になっているので、年間を通して調整するようになっている。新年早々に行くためには、その年最後の床屋行きは10月に行くことである。三ヶ月も間を置くことになるが、新年早々の床屋さんになるのである。
今、利用している床屋さんまで歩いて15分くらいを要する。2010年4月から、この地に住むようになり、床屋さん調べも結構な課題であった。この地域の床屋さんを経験していたのである。その中で、ようやく今の床屋さんに行くようになっている。その床屋さんはかなりの年齢で、90歳を超えてもいる。まだまだお元気で、100歳にも近くなるほど続けたらよいと思っている。15分も歩いて、角を曲がるとその床屋さんのサインポールが見える。それが見えるとホッとする。もしかしたら店じまいをしているかもしれないとの思いがあるからである。そのサインポールが、まだ元気にやっているよ、と言っているようで喜ぶのである。
ところで床屋さんのサインポールは、当たり前のように思っているが、どうしてあのようなサインポールとなったのであろう。いろいろな説があるようだ。ネットで調べてみた。古くは西洋の中世時代から始められたようである。当初は外科のお医者さんと床屋さんは同じ職業であったようである。外科のお医者さんが血を流して治療することがポールの赤として使われ、白は包帯とか。それで床屋さんと外科の先生が分離するようになり、床屋さんがサインポールを使うようになったとか。こんな説明では、ほとんど理解できないのであるが。日本では、道を歩けば必ずサインポールを見ることになる。それも何軒もである。ところが外国でこのサインポールなるものを見たことがない。もっともそんなに外国には行ってないが、スペイン、ローマ、フィレンツェ、パリ、マレーシアくらいであるが、あのくるくる回るサインポールは見かけなかった。スペイン・バルセロナに滞在していとき、二ヵ月も滞在していると髪の毛もかなり伸びる。それで、家族から5ユーロの床屋を勧められる。これは格安の値段なのである。店のガラスに張り紙がしてある。店の前に行かないとどのような店なのかわからないのである。サインポールはどこからでも見えるので、ありがたいと思う。まだ、元気ですねと思って。

マレーシア・クアラルンプールの美容院
マレーシアに三ヶ月滞在したので、美容院で散髪。

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