隠退牧師の徒然記<680>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)時<680>
2023年3月12日「二、三人で心をあわせて」

聖書の言葉
二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。
(マタイによる福音書18章20節)


キリスト教に導かれたとき、多くの場合、キリスト教でもいろいろな教派がある中で、一つの教派を選んでその教会に行くようになったのではない。たまたま導かれた教会が、どのような教派であるかわからないままに教会員になったのである。私は日本基督教団の教会に属するが、たまたま導かれたということである。もともと最初の教会は関東学院教会で、バプテスト関係の教派の教会でもある。その教会の教会学校に通い始めたのは小学校3年生であった。その経緯については、これまでも紹介している。母が入院しており、その母を教会学校の子どもたちがお見舞いしてくれたのである。昔だからできたのである。その日の教会は「こどもの日・花の日」と言うイベントを行う。子どもたちは持ち寄ったお花を病院等に行き、入院中の皆さんに差し上げるのである。見ず知らずのお子さんにお見舞いされ、母は深い感銘を与えられる。そして退院するや、私を連れてその教会に行き、花の日の御礼を述べる。そして、今後は我が子も教会学校に通わせると挨拶をしたのであった。私の教会生活は日本基督教団ではない教会が始まりであった。その教会学校の生徒は、ほとんどが関東学院小学部の生徒であり、そのまま中学へと進学していくのである。そのような子どもたちと接しているうちにも、自分もみんなと同じように関東学院中学部に入りたくなる。それで一生懸命に受験勉強をしたのであるが、受験は失敗したのである。もはや、その教会学校には通えなくなるので、二人の姉たちが出席していた日本基督教団清水ヶ丘教会に出席するようになるのである。長姉の美喜子は清水ヶ丘教会の開拓時代、横浜の生糸検査場で集会をしていたのであるが、その時代から出席していたのである。その生糸検査場の礼拝に、姉に連れられて出席したことがある。そして清水ヶ丘に教会が建設されたとき、何度か出席している。中学生になって、本格的に出席するようになったのである。まだ、中学生なので教会学校中学科に出席するように勧められていたが、どうも入りたくなかった。そしたら高校生会のぶどうの会の皆さんが、中学生ではあるが高校生会の交わりに入れてくれたのであった。神学校に入学するのは23歳の時であり、それまでこの清水ヶ丘教会の礼拝に出席しながら成長したのであった。この教会で洗礼を受け、この教会で伝道者になる決心をしたのである。そして、この教会で結婚式を挙げ、人生を旅立ったのであった。従って、キリスト教の基礎的なことについては、身についていると思うのである。牧師になっていろいろな取り組みをするとき、清水ヶ丘教会の基礎的なことが、結構影響していることに気づくのである。しかし、長年の牧師生活で、徐々に自分なりの取り組みへと導かれたと思っている。それでもやはり、原点は清水ヶ丘教会であると示されるのであった。青年の頃の清水ヶ丘教会は、その頃でも礼拝出席は200名であった。従って、礼拝とは、このように多くの皆さんが出席してささげるのであると示されていたのである。しかし、多いことは結構なことであるが、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」と示されているように、少人数の祝福を示されるようになる。

初期の清水が丘教会。この時代から出席するようになる。
現在の清水が丘教会。

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