隠退牧師の徒然記<684>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)時<684>
2023年4月10日「二つの教会を担いながら」

聖書の言葉
わたしには、この囲いの入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。(ヨハネによる福音書10章16節)

宮城県の陸前古川教会の牧師として歩むことになったとき、当初は付属の幼稚園の園長も兼ねると思っていた。前任の牧師が40年間も牧師、園長を勤めたからである。しかし、就任は牧師のみで園長の勤めはなかった。しかし園長としてのお勤めはないにしても、宗教法人の幼稚園であり、教会が設置者なのである。そして、またキリスト教主義の幼稚園であるので、宗教主任としてのお勤めもある。幼稚園の職務がないと言いながらもいろいろなお勤めに関わらなければならないのである。ところが、不思議なもので、本格的に幼稚園の園長になるのである。と言っても他の教会の幼稚園の園長である。宮城県の古川から車で1時間くらい北上すると登米(とめ)と言う町になる。北上川の河口付近であり、雄大な川の流れがある。そこに登米教会があり、幼稚園を敷設していた。その教会の牧師が退任したが、後任が決まらない。それで陸前古川教会の牧師であるが、登米教会の牧師にもなってもらいたいというのである。そういう場合、兼牧と言うのであるが、二つの教会の牧師になる。しかも、こちらも幼稚園を運営しているので、園長にもなるということである。日曜日の午前は古川の教会で礼拝を司り、また諸集会に関わったりして、午後3時からは登米の教会の礼拝を司る。そして、幼稚園は週三日間勤めることにしたのである。登米教会の歴史は古いが、人口8千人くらいの町であり、そのためもあり教会員は少数であった。礼拝出席者も10名前後である。それも高齢者がほとんどで、若い人は数人おられたが。本当に少規模の教会であるが、すごいことが起こることになるのである。この町には幼稚園はこの教会幼稚園だけである。町としては幼稚園が一つしかないので、なんとか援助して運営の協力をしたいのである。ところが宗教法人なので協力できないのである。それで、町としても教会幼稚園が学校法人になることを望んでいたのである。それで町と教会とで学校法人設立委員会を設立することになる。この教会に兼牧として就任した時は、その設立委員会も数年が経過していたのである。なかなか話し合いがまとまらなかったのである。やはり町の思惑と教会のそれとは異なるからである。この設立委員会がある限り学校法人への道は開かれないと判断したので、設立委員会を解散し、教会の役員会が主体的に取り組むことにしたのである。こんな小さな教会で、しかも高齢者ばかりの役員会であり、何ができるのかとのご批判をいただくことになる。しかし教会が主体的に取り組んだとき、幼稚園の歴代母の会の皆さんが立ち上がってくださる。募金活動を展開してくださる。そういう状況に町も協力してくれるようになるのである。そして、幸い古川の教会には建築屋さん、材木屋さんがおられ、ご協力いただきながら建物を完成したのである。これで県の方に宗教法人から学校法人へ移行する書類を提出すればよいのである。ところが提出直前になって、神奈川県にある教会からのお招きをいただいたのである。この登米教会の後任牧師は知人が異動を希望していたので、すぐに引継ぎができ、その後、学校法人幼稚園として人々の希望となったのであった。この小さな教会の取り組みが、大きな業へと変えられていったことは、礼拝への姿勢が多くの人々の共感となったと示されている。

45年前の登米教会の皆さん。
登米幼稚園のお友達と。

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