隠退牧師の徒然記<679>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)時<679>
2023年3月6日「人生、一つのことに関わりながら」

聖書の言葉
まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。
ヨハネによる福音書4章23節)

テレビやパソコンでいろいろな報道を示されるのであるが、亡くなった方の報道を示されると、しばらくその方に思いを募らせている。だいたいは私の年齢くらいの方であり、昔からその活躍を知っているので、この人も逝かれたかと思うのであった。その活躍で有名になる皆さんは、大体は小さい頃から、あるいは少年の頃から関わっているのであり、長い人生の活躍なのである。一つの生き方を最後まで貫くこと、それで有名になる人なのであるが、有名にならなくても、コツコツと一つのことに関りながらの人生は祝福であると思っている。多くの場合、人は皆、自分の人生を一つの姿で生きているのである。そして、それを自分に当てはめているのであるから、傲慢と批判されるのかもしれない。私の何が一つのことかと言えば、それは礼拝の人生であるということである。キリスト教の世界に入り、神様に向かいながら今日まで歩んでいるのである。それは私が小学校3年生の頃であり、9歳の頃である。母親に連れられて近くの教会に行ったことが始まりである。実は、母は入院しており、その母を近くの教会学校の子どもたちがお見舞いをしてくれたのである。今では考えられないことであるが、教会学校の「こどもの日・花の日」の行事として、子どもたちが病院を訪問したのであった。そのお礼を述べるため、母は私を連れてその教会に出席したのであった。それ以来、教会学校に通うようになり、礼拝の人生が続くのである。もっとも親がクリスチャンの場合も、その人は生まれたときから礼拝の人生が始まっているのであるから、つくづくと尊敬をしている。私の場合、親はキリスト教ではないが、父の礼拝の姿が教本のようでもある。父は朝起きると、まず東の空に向かって手を合わせお参りするのである。まだ太陽も出てなく暗いのであるが。それが終わると神棚の前に行き、手を打ってはお参りをする。その後、台所の神様もあり、しばし拝んでは仏壇に向かう。チンと仏壇の鐘が鳴ると礼拝が終わることになる。これを毎日休むことなく続けていたのである。そのような礼拝の姿勢に触発されたのか、教会学校に通うようになり、家でも礼拝をすることになる。家の隅の方になにやら祭壇を作り、そこには聖書や献金箱を置いていたのかもしれない。その祭壇の前で、教会学校で覚えた賛美歌を歌ったりしたのである。いつもしていたのかは覚えがないが、一度は自分一人で礼拝をしたことを覚えているのである。教会学校ばかりではなく一人で礼拝をささげる、これが生涯の取り組みになっていくのである。
改めて礼拝とは何であろうか。「神を礼拝するとは、神に最高の価値を帰すること」であるという。(レイモンド・アバ著、滝沢陽一訳「礼拝、その本質と実際」日本基督教団出版局)。そのような理論的な理解で礼拝をささげているのではないが、人間を超えた偉大な存在に心を向けていること、という認識はあると思う。ほぼ70年以上も礼拝をささげ、またいろいろな礼拝を経験してきている。そ。れらを振り返りながら、改めて礼拝に生きてきた人生を示されたいのである。次回以降、いろいな礼拝の体験を通して礼拝の姿勢が培わされてきたことを書き留めたいと思っている。

自らデザインして礼拝堂の聖壇を造る。

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