隠退牧師の徒然記<682>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)時<682>
2023年3月27日「駆け出しの頃を振り返り」

聖書の言葉
自分の体を神に喜ばれる聖なるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。(ローマの信徒への手紙12章1節)

神学校に6年間在籍して、いよいよ巣立つときがやってくる。巣立つものの、どこかの教会に招かれなければならない。神学校の卒業生人事という組織があり、教会赴任をお世話してくれるのであるが、教会からの要請がなければお世話もできないのである。一方、教会から直接要請もある。年があけて3月には卒業するのにまだ赴任先が決まってない。そういう年もあるのだ。それで、神学生時代に奉仕していた小さな教会であるが、当面、そこに伝道師としての籍を置かせていただき、生活のためには働かなければならない。そういう段取りをとることにしたのである。そういう生き方を小さな教会が受け入れて下さり、それで4月からの歩み、3月末には結婚することになっており、まあ生活設計ができたので一安心していたのである。そしたら2月頃になって、教会から卒業生の紹介を要請してきたのである。すでに小さい教会の伝道師として就任することになっていたが、神学校の方で教会の要請に応えるために私を紹介したのであった。それが東京の港区にある青山教会である。主任牧師は、その頃、70歳前後であったと思う。伝道師として赴任するが、主任牧師が中心になっているので、伝道師はもっぱら事務仕事に徹しなければならない。しかし、そうは言っても伝道師なのであり、主任牧師と共に牧会を司る。特に教会学校や青年会の関りに力を注ぐことになるのである。今迄は神学生として教会に関わっていたので、あまり責任のある働きはできなかった。しかし、伝道師という教職の立場になり、責任ある職務は積極的にとりくむことができたのであった。伝道師なので月一度説教を担当させていただく。むしろ、教会学校ではいつも礼拝説教していたし、また交わりを盛り上げる取り組みをすることになるのである。夏期学校なるものも、今までは郊外に出かける機会がなかったようである。わずか4年間の伝道師のお勤めであったが、郊外に出かけての夏期学校は楽しく、実りのある取り組みとなったのである。教会学校の活動のためには、働き人が必要である。そのため若者たち、青年会の皆さんをなるべく指導者とし、共に取り組みを深めたのであるが、それが青年たちの良い取り組みとなり、青年会の活動も盛んになる。日曜日の礼拝が終わると青年会の皆さんとのお交わりが深まったのであった。喫茶店に行ってはしばらく語らいつつ過ごすのであった。
青山教会は南青山4丁目に存在していた。賑やかな通りから少し離れてもいる。大通りに面してないので、その分、教会に来られる方は少なくなる。それでもかなりの皆さんが出席され、共に礼拝をささげていた。その教会には通いであり、当初は芝白金台で、明治学院のすぐ近くに居住していており、電車やバスで行き来していた。その後、六郷土手の公団住宅に住むことになり、小さい車で通うようになる。その頃には子供の羊子、星子が与えられており、日曜日には一家で教会に行ったものである。通いの牧師はその4年間であり、以後は教会の中に牧師館があったので、礼拝堂と共に人生が導かれるのである。いつも礼拝を示されながら歩むことになるのである。

砧緑地公園へ教会学校の野外散策。50年も前の記念写真。

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