隠退牧師の徒然記<681>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)時<681>
2023年3月20日「子どもたちと共に礼拝をささげつつ」

聖書の言葉
子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。
(マルコによる福音書10章15節)

礼拝出席者が200人もいる教会で信仰の成長を導かれる。牧師になるため神学校に入ることで母教会を離れることになる。もはや200人の礼拝出席の教会ではなくなる。最初は川崎にある教会に神学生として出席するようになる。25人名くらいの出席であったが、熱心な皆さんによって学びが深くなる。2年間出席したが、その後はいろいろな教会を体験するために、出席教会を決めないでいた。毎週、異なった教会に出席するようになるのである。半年くらいそのような歩みであったが、そういう歩みが神学校の教授に知られてしまう。どこにも所属教会が決まってなければ、教授が牧師をしている教会に出席させられることになる。西荻窪にある教会で、教授夫婦が牧師である教会でもある.その教会は、いわゆる屋根に十字架が立てられている教会ではなく普通の家の応接間が礼拝堂であった。それでも礼拝出席者10人以上はいたのである。大人の礼拝前は子供の教会学校が開かれる。神学生として主に教会学校の奉仕が中心であった。教会学校も10人くらいが出席していた。教会学校の礼拝が終わるものの、大人の礼拝まではまだ時間があった。応接間に面しての庭がかなり広く、一面が芝生であった。そこで子どもたちと遊ぶのである。それがお楽しみで出席する子どももいるので、それに自身も子供心が残っているので、疲労が残るほど遊んだものである。そして、大人の礼拝が始まる。応接間の礼拝堂なので、椅子はソファーであり、そこに深々と座っての礼拝となる。説教が始まる頃は、眠りも深くなるのであり、思わず足を伸ばしてしまうのであった。神学校に入るのまでの青年時代、高校生会にしても青年会にしてもメンバーが多く、お交わりの楽しい集いには、いつも指導的にゲームをしたり、雰囲気を盛り上げていたことが、後に生かされることになる。教会学校の子どもたちと遊ぶこと、いろいろなゲームをすることで盛り上がるのであった。ハイキングに行っても、必ずお遊びを司るのであった。子ども達も楽しく過ごしながらも毎週の礼拝には出席し、神様に心を向けるのであった。
その様に子どもたちの指導が目的になっていた時、ボーイスカウトの指導者講習会に出席する。それまでボーイスカウトなる組織に関わったことがないが、指導者講習会と言うことで参加することにしたのである。野外活動のいろいろな取り組みを教えられたが、中でも遊びの指導が大いに参考になったのである。そこで覚えたマオリ族の宗教的儀式が楽しい取り組みとなる。神学校の全校修養会で、交わりの時間があり、司会を任されたので、そのマオリ族の宗教的儀式を取り入れたのである。火の周りで踊りながら儀式を行うものである。当時の校長先生まで交わりに参加し、共に踊られたのであった。この踊りは、後にいろいろな機会で披露することになり、楽しい交わりを展開することになるのである。
この小さな教会で、子どもたちと体中で触れ合いながら過ごしたこと、そして、共に礼拝をささげたこと、この後の人生の根幹となっていくのである。

教会学校の子どもたちと楽しく過ごし。

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