隠退牧師の徒然記<707>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<707>
2023年9月18日「子どもたちと共に歩みながら②」

聖書の言葉
イエス・キリストは言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。神の国はこのような者たちのものである。」(マルコによる福音書10章14節)

宮城県の教会で6年半勤めて神奈川県にある教会に転任したのであるが、教会と共に幼稚園の園長に就任することを示されており、そのつもりで就任する。しかし、それと共に幼稚園は学校法人であるので、その法人の理事長にも就任することであった。それについてはあまり考えてはなかったので、重荷を負った思いでもあった。しかし、ある意味では園長としての職務が円滑に進められたようでもある。法人の理事長は全体の責任者であるので、その任務をも担うので、園長としての任務は取り組みやすいということである。このような重い職務を教会の牧師が担わなければならないという決まりを、何故定めたのか。教会と幼稚園の歴史を顧みておこう。教会についてはメソジスト系の牧師たちが関り、徐々に形成されていくのであるが、この地域にキリスト教の布教が始まったとき、同時に幼児への取り組みも始まったのである。宣教師のドレーパー牧師が、開拓伝道を始めたとき、娘も共にやって来る。その頃、この地域は養蚕が盛んであり、忙しい時期は子どもたちが放置されていたような状態であった。それで一時的な季節託児所を開設することになる。子どもたちの託児所とキリスト教の伝道が同時に行われたのであった。その後、教会なるものが設立されると同時に幼児施設も開設することになる。1962年である。教会は幼稚園と共に始まったのである。最初は無認可幼稚園であったが宗教法人立幼稚園となる。そして、その後、学校法人立幼稚園への移行が始まる。全国の教会の宗教法人幼稚園も、かなり移行するようになる。学校法人になれば、助成金もあり経営が楽になるのである。そして、1977年にドレーパー記念幼稚園も学校法人に移行したのである。当時の教会幼稚園が学校法人になり、教会とまったく分離してしまった例がいくつか示されていた。そのため宗教法人立から学校法人立に移行するにあたり、内規を定め、教会と幼稚園が分離しないようにしたのである。「学校法人の理事長及びドレーパー記念幼稚園の園長は大塚平安教会の牧師が兼任する」と言う内規である。学校法人の理事長が牧師以外の人が担った場合、いつの間にか教会と分離してしまったという例を聞いているのである。1979年に就任したので、その内規は真新しいものであった。教会と幼稚園の姿勢を尊重して、学校法人の幼稚園であっても教会幼稚園としての存在を強くしつつ運営したのであった。こうして年齢と共に退任を決意した時、就任してから30年も経ていた。それで、これまでの歩みを振り返り、やはり教会の牧師と幼稚園の園長は分野が異なるのであり、それぞれを深めるためには牧師が園長を兼任しない方が良いと判断するようになる。それには内規なるものを見直さなければならない。教会の皆さんに考えてもらい、幼稚園の理事会、評議員会の皆さんに検討してもらったのである。皆さんも牧師の勤めと園長の勤めを分けることに賛成するのであった。それでようやく内規が改められたのであるが、30年間のお勤めを退任するにあたり、後世への置き土産と思っている。そして、今はそれぞれの分野で牧師、園長が祝福の歩みをしているのである。

初期の頃の教会と幼稚園
平屋の部分はホールであった
平屋の部分を改築して二階建てにする。ホールは二階、一階は玄関ホール、職員室である

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