隠退牧師の徒然記<653>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<653>
2022年9月5日「いろいろな職務を担いながら」

聖書の言葉
あなたは、民全員の中から、神を畏れる人で、信頼に値する人物を選び、千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長として民の上に立たせなさい。(出エジプト記18章21節)


宮城県にある教会から神奈川県の教会に転人が決まったとき、その教会と共に幼稚園の園長も兼任することはうかがっていた。しかし、教会の牧師と共に担わなければならない職務は他にもいくつかあったのである。幼稚園は学校法人であり、始まりは教会幼稚園の宗教法人であった。それが学校法人に移行することにより、法人を異にすることになる。そこで、その学校法人の理事長にも就任することになる。牧師、園長、理事長と一人三役を担うことになったわけである。そればかりではなく、教会と関係する二つの施設の嘱託牧師にもなるのである。二つの施設は、それぞれ利用者礼拝、職員礼拝をおこなっている。教会は週日にいくつかの集会があり、幼稚園にしてもいろいろと園長先生の役目がある。そして、学校法人として幼稚園の運営も担うのである。これらはうちうちの活動であるが、外部の活動が加わってくるのである。
日本基督教団は1700の教会があり、全国を17教区としている。神奈川教区の中にある教会であるが、神奈川教区は五つの地区を持つ。就任した教会は湘北地区の中にある。地区と言う組織なので、やはり担う人が必要である。それらの委員を担いつつ歩むことになるのである。だいたい1980年代は湘北地区の歩みを支えながら歩むことになる。これらの対外的な活動と共にも社会的な活動も加わってくる。1885年には横浜保護観察所の保護司を担うことになるのである。その務めは5年で終わるが、迎えた1990年代になると神奈川教区の職務を担うようになるのである。教区書記、常置委員、神奈川教区総会副議長、議長等を担うことになる。そしてさらに職務が加わるのであるが、1994年からは八王子医療刑務所教誨師、神奈川医療少年院篤志面接委員を担うことになり、2010年まで続くことになる。
そして迎えた2000年代は日本基督教団の職務を担うことになる。2001年からは日本基督教団の教師委員を担う。2002年になると日本基督教団総会書記に選任される。4期8年間担うことになり、教会の退任と共にこちらも退任することになるのである。こんなにいろいろな職務を持っているので、教会のお勤めは大丈夫なのかと思うであろう。会議で東京の渋谷にいたとき、ポケットベルが鳴る。その場合、自宅に電話するのであるが、一人の青年が入院しており、危篤であるという。すぐにタクシーで横浜の病院に駆け付けたのであった。また、西早稲田にある教団の会議中に連絡があり、教会員が入院中であり、明日は手術で眠れないと言われる。タクシーで海老名の病院に駆けつける。もはや夜間であり、面会はできないのであるが、特別に頼んで入れてもらう。しばし、共にお祈りをささげたのであった。
いろいろな職務を与えられ、担いながらも本命は教会のお勤めなのだ。喜びつつ職務を終えたと思っている。この歳になって、まだお勤めができるなんて思っているのであるが。

教会と幼稚園のお勤めを果たしながら。

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