隠退牧師の徒然記<708>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<708>
2023年9月25日「施設の皆さんと礼拝をささげ」

聖書の言葉
「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたがたと共にいる。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」(使徒言行録18章9-10節)

牧師としての勤めは、人々に神様の御心を示し、神の国に生きる喜びへと導くことである。「人々」と言った場合、教会に救いを求めて来る人、無関心であるが何となく教会に来ている人等、いろいろな人々なのである。それと共に子どもたちへのメッセージがある。教会には教会学校があり、子どもたちへ神様の御心を示している。最初の青山教会時代は幼稚園があっても関りがなかった。しかし、教会学校には幼児から中学・高校生まで出席するので、子どもたちへのメッセージは常に対策しなければならなかった。宮城の古川幼稚園では園長ではないが、礼拝でのお話があり、幼児伝道の使命があった。そして、神奈川の教会、大塚平安教会では園長も担うことになり、子どもたちには常の「神さまのみこころ」としてお話をすることになる。大塚平安教会牧師に就任した時、幼稚園の勤めも示されていたので、それなりに使命を深めていたのである。ところが就任の話が進められる中でも示されていたのであるが、あまり深くは思ってもいなかった二つの施設でのお勤めである。教会員が知的障碍者施設を運営しているので、そちらの嘱託牧師の勤めである。週に一度、利用者の皆さんと職員の皆さんのそれぞれの礼拝がある。木曜日と金曜日にそれざれの施設に出かけるのである。一つの施設は教会からすぐ近くであり、2、3分も歩けば行き着く。いつも8時30分からであり、その頃、朝のテレビで「おしん」というドラマが放映されていた。なかなか感銘深い物語で毎朝8時15分から見ていた。しかし、木曜日は8時30分から施設の礼拝であり、8時25分まで見ていたが、駆けるようにして施設に向かっていたのである。しかし、そういう姿勢を反省し、もはやテレビを見ないで、早めに施設に出かけ、なるべく利用者の皆さんとお話するようになったのである。施設での礼拝は、ずいぶんと訓練になったと思う。利用者の皆さんは話が分かれば、笑ってくれるし、うなずいてもくれる。面白くないお話は、大きく口を開けてあくびをするのであった。あくびの出具合によって、お話の内容を改めるのであった。施設では礼拝のお話ばかりではなく、嘱託牧師と言うことで葬儀も司ることになる。二つの施設とも、当初は、葬儀となると施設内で行われていたが、その後は斎場で行われるようになる。施設での葬儀は利用者全員が参列しお別れをしていた。しかし、斎場では利用者の代表5名くらいが参列しお別れをしていた。利用者の皆さんはいつも礼拝へと導かれ、神様の御心を示されては過ごしていたこと、祝福の人生であったと示されている。30年間も利用者の皆さんにお話をさせていただいたこと、説教者として牧師の働きか深められたと思っている。施設の玄関に入ると、ちゃんとスリッパが並べられている。利用者の〇○さんのお勤めだそうだ。そして、玄関に△△さんがいて、すぐに私のカバンを受け取り、礼拝のホールまで運んでくれるのである。誰かがそのお勤めをしようとすると、今までしてくれている人との大きな争いになる。その時は施設長が割って入って納めてくれるのであった、そのような日々を今は懐かしくおもいだしている。

この施設は、教会に赴任した当初は教会の近くであったが、後に転居する。
こちらの施設は金曜日に礼拝をささげていた。

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