隠退牧師の徒然記<496>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<496>
2019年9月2日「夜も眠らないで」


聖書の言葉
激しい突風が起こり、船は波をかぶって、水浸しになるほどであった。しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。
新約聖書・マルコによる福音書4章35-41)


久しぶりに「牧会」の責任を持つ。大塚平安教会の牧師夫妻が夏休みを利用して外国に旅行されるので、留守中、もし何かあったら対応していただきたいとの要請があった。8月16日から26日までの10日間である。「もし何かあれば」ということは、多くの場合、教会のどなたかがご召天された時のことである。その他の牧会的なことは教会員が相互に果たすであろうし、教会のお勤めはしない。それでも、「もし何かあれば」対応しなければならないので、そのつもりで10日間を過ごしたのであった。牧師夫妻はお元気に帰国され、何事もなかったことを喜んでおられる。
そんなことで在任中の頃が思い出される。「もし何かあれば」は、いつも心に示されていることであった。昔は携帯電話等はなく、ポケットベルが出始めたころである。電話局の営業員が来られてポケットベルを勧めてくれたのである。これは牧師、園長を担う者としてぜひ必要なものである。早速、持ち歩いたものである。会議があり、それは西早稲田の教団事務局であったが、会議が終わり、渋谷あたりで食事をすることになる。いくつか飲食店を物色しているとポケットベルが鳴る。ポケットベルは携帯電話でないので、ベルが鳴った時は公衆電話から自宅に電話するのである。かねてより入院されている青年がおられ、危篤との知らせであった。渋谷から電車を乗り継ぎしていたら遅くなるので、そこからタクシーで横浜の病院に駆け付けたのであった。青年は一命をとりとめ、平静になったことで安心する。この時、ポケットベルのありがたさを知る。やはり会議で出かけているとき、ポケットベルが鳴る。何事かと自宅に電話する。「今日の夕食は何がいい」との電話であった。
牧師はいつ電話があるか、一応備えてはいるが、常に気を張っていては疲労が重なる。せめて家にいるときはリラックスしたいのである。ある夜、それも真夜中のことである。電話があり。ご夫婦のいざこざで、ぜひ来ていただきたいというのである。その日は、お酒を飲んで安らかな眠りについていたのである。どうしても来ていただきたいというので、車でお宅に向かう。その頃は酒気帯び運転等は、取り締まりが厳しくなかったのである。シートベルト着用等も取り締まりがなかった。お宅ではお祈りして帰ってきたのであるが、酒気が残っていたことであろう。改めて自戒したのであるが。
牧師はいつ何があるかわからないので、いつも目を覚ましている。そのような牧師のつとめを退任している今、幼稚園の勤務がない日は、必ず昼寝をしているのであるから、現役の牧師先生たちには、まことに申し訳ないと思っているのであるが…。

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二歳半になった孫の義也君。成長を楽しみにしている。
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最近はお掃除をするとか。
noburahamu2.hatenadiary.org