隠退牧師の徒然記<488>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<488>
2019年7月8日「もしかして一番長いお交わり」


聖書の言葉
「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。
新約聖書ヘブライ人への手紙11章1-2節)


山田満枝さんが去る6月13日に召天された。93歳であった。山田さんとのお交わりを示されたとき、かれこれ50年を経ていることを示されている。最近のお交わりは三崎教会の講壇に招かれた時である。山田満枝さんは青山教会員であり、私が神学校を卒業後の最初の教会であった。そこでは副牧師であったが、山田さんは教会の役員として重い役目を担っていたのである。同教会には4年間で、その後は宮城の教会に移ったのである。年賀状をいただいていたので、お元気に過ごされていることは示されていた。
その山田さんが三崎教会に出席するようになるのは、三崎教会に比較的近くにある高齢者ホームに入居されるようになったからである。約10年前から出席されたということであるから、82歳のころであろう。私が三崎教会の礼拝に招かれるようになるのは2012年7月であるから、7年間、三崎教会でのお交わりとなる。2012年7月29日に初めて三崎教会の講壇に立たせていただき、そして山田さんとの久しぶりの再会となったのである。
最初に三崎教会に伺ったとき、山田さんも出席されており久しぶりの再会となった。礼拝後はぜひ食事を共にいただきたいということで、近くのお寿司屋さんにご案内くださったのである。ここのお寿司屋さんは三崎でも知られている店で、いつもにぎわっていた。それからは三崎教会に赴くたびにお寿司をごちそうになっていたのである。山田さんは結構足腰が弱くなっていて、共に礼拝に出席していた娘の星子がいつも介護して歩いていたのである。また、2月3月はイチゴの季節であり、食事後は三浦海岸にあるマホロバという保養施設の喫茶店に行くことになる。三浦のとれたてのイチゴをいただいたのであった。いつもご馳走になっているみたいであるが、山田さんは時々財布をお忘れのことがあり、もちろんその時はこちらで負担させていただいている。
なんといってもスペインにいる羊子が最初に山田さんとお会いしていることになる。そして星子が続くのであるから、二人にとっても長い年月のお交わりなのである。もっとも青山教会時代の羊子も星子も、まだ幼児なので、お交わりということではないが、山田さんが何かと心にかけてくださったということである。その羊子が2015年11月22日に三崎教会でピアノリサイタルを開かせていただく。山田さんのお喜びが今でも心に示されている。このところ山田さんは礼拝には出席できなくなっていた。一度、お住いのホームにお訪ねしたことがある。
人生の途上、お交わりの歩みは喜びであり、希望でもある。出会いを喜びつつ歩みたい。

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三崎教会礼拝後のお交わり。右から二番目が山田満枝さん。
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