隠退牧師の徒然記<495>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<495>
2019年8月28日「夏の終わりに」


聖書の言葉
イエス・キリストのことを思い起こしなさい。わたしの宣べ伝える福音によれば、この方は、ダビデの子孫で、死者の中から復活されたのです。
新約聖書・テモテへの手紙<二>2章8節)


勤めている幼稚園も夏休みであり、長い夏休みであったが、8月も終わりに近づき、いよいよ9月から第二学期となる。8月26日から教職員も職務が始まり、28日から30日までは夏期保育で幼稚園の子供たちも登園することになっている。夏休み中は、教職員の皆さんは日直で順次職務を行っているが、私は週に一度幼稚園に赴くことであった。夏休み中に英気を養って二学期に臨みたいと思っていたが、この夏休み中は家の周りの芝刈りをしなけばならず、疲労が重なったというわけである。それでも日ごろから気になっていた雑草の整理をすることができ、気持ちが楽になったというわけである。
現役のころ、教会は牧師に夏休みを与えてくれた。日曜日の二回ほどは他の教師を招いての礼拝になる。その場合、日曜日にどこかの教会の礼拝に出席することでもないので、自分の教会で礼拝をささげるのである。説教のお勤めはないので、それでも牧師の休暇になるのであつた。牧師の皆さんは結構上手に休暇を利用している。二週間もあるのだから、外国に行かれる場合もある。故郷の教会に出席したり、それなりに休暇を楽しんでいる。私の場合、日曜日は他の教会に出席しなくても、週日には家族旅行をしたものである。子供たちがまだ学生のころまでは、毎年、夏の家族旅行をしたのであった。伊豆方面、千葉方面、北陸方面等、いつも楽しい旅行をしたものである。
夏休みの思い出をさらに遡れば、神学生時代の夏休みがある。神学生の二年目に夏期伝道として北海道の余市教会で過ごしたのであった。神学生の夏期伝道というのは、いわば、夏期実習である。どこかの教会で夏休み中を利用して実践的に牧師になるための訓練を行うのである。赴いた余市教会は小樽の近くでもある。その頃、新幹線なるものはなく、上野から青森まで「はつかり」という急行列車、青物から函館まで青函連絡船、函館から余市まで電車に乗り、一日がかりの旅となる。今は天におられる吉岡一牧師が指導してくださり、特に教会に出席している青少年と共に過ごすことであった。教会には寝泊まりする場がないので、教会の隣は仏教のお寺であり、そのお寺の一室で夏休みを過ごしたのである。夜はお線香の匂いが漂う部屋で過ごし、昼間は十字架の輝く教会ですごしたのであった。そのお寺には小児麻痺のお嬢さんがおられ、親しくお交わりをする。教会の若者たちの集会にもお誘いしている。今でも年賀状をいただいている。
夏の思い出を記すとしたら枚挙にいとまがないが、神学生時代の夏期伝道が現在の原点のようでもある。夏休みの芝刈りも思い出深いものになっているのであるが…。

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3月に羊子、連れ合いのイグナシオ、子どもの義也がスペインより一時帰国し、家の裏の草刈りをしてくれる。
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8月も草刈りを行い、雑草防止として砂利を敷き詰める。
noburahamu2.hatenadiary.org