隠退牧師の徒然記<497>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<497>
2019年9月9日「記念の日を迎えながら」


聖書の言葉
古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、パン種の入っていない、純粋で真実のパンで過越祭を祝おうではありませんか。
新約聖書・コリントの信徒への手紙<一>5章8節)


勤めている伊勢原幼稚園は9月7日が創立記念日である。1930年(昭和5年)が始まりなのである。キリスト教の幼稚園は歴史が古い。前任の横浜本牧教会付属早苗幼稚園も100年以上の歴史がある。キリスト教の伝来と共に幼稚園も開設されているのである。伊勢原幼稚園の場合は89年の歩みとなっている。伊勢原幼稚園が80周年を迎えたときお祝いに出席する。求められての祝辞は、「一般には今後のご発展をお祈りしますということであるが、発展しないでください。ひたすら主の御心を子供たちに示し、祝福の歩みとなりますよう。」と述べたものである。そうしたら他の幼稚園の園長が、「ご発展にならなければ、あとはこちらで子供たちを受け入れます。」と挨拶されたのであった。それから10年を経ているが、伊勢原幼稚園は現在60名の子供たちと共に歩んでいる。まさに発展しない幼稚園なのである。「発展」とは何を意味するのか。園児が多く集まることなのだろうか。一般にはそのように理解されているであろう。しかし、キリスト教主義幼稚園として、神様のお心を示しつつ、また実践しつつ歩むこと、一般的には喜ばれないのである。英語教育、体育指導、英才教育等、保護者が喜ぶ幼稚園が発展しているのである。幼きときに、一人の存在を大切にする歩みこそ大切なのである。発展していない伊勢原幼稚園を喜んでいる次第である。
組織や団体には創立記念日がある。六浦谷間の集会が始まったのは2010年11月であり、今年で9年目になっている。その時になったら言及したいと思っている。創立記念日と共に、人間の誕生日がある。誕生日のお祝いは言うまでもない。私の誕生日は5月であり、その時に記しているので割愛しておく。誕生日祝いで、いつも心に示されていることは、スペイン・バルセロナに滞在しているときであった。バルセロナには娘の羊子がピアノの演奏活動をしているので、何回か滞在している。その時経験して心に示されていることは、誕生日のお祝いである。自分の誕生日には親しいお友達を招いてお祝いしてもらうのである。もちろんご馳走を用意して。それに対してお友達も誕生日にはお招きくださるので、いつもいろいろなお友達の誕生会に招かれるのである。家族の私たちまでご相伴にあずかる。
そしてまた、羊子は共に家族としている犬や猫たちの誕生会もしてあげている。一時はミニピンシャ犬4頭、シャム猫ペルシャ猫の2匹がいる。それぞれの誕生日には人間並みにお祝いしてあげるのであった。今は犬と猫の二回の誕生日になっている。しかし、羊子には義也君という宝ものが与えられ、今年の8月で二歳半にもなっている。誕生会の喜びは絶えることがないというわけ。連れ合いのスミさんには9月19日が誕生日であり、子どもたちと共にお祝いをするであろう。

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ペルシャ猫カムイ16歳の誕生会。
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ミニピンシャ犬キュピの15歳の誕生会。
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