隠退牧師の徒然記<498>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<498>
2019年9月16日「共に生きて、使命を与えられるので」


聖書の言葉
「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある。」これはわたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉なのです。
新約聖書・ローマの信徒への手紙10章8節)


連れ合いのスミさんは9月19日に誕生日を迎える。今年は傘寿のお祝いとなる。14日の土曜日には子供たち一同が集まり、少し早いのであるが、この日に誕生日祝いを開いたのであった。今日まで健康を与えられ、共に歩んできたことを喜び、感謝をしている。
今年の春、3月に金婚式を迎えた私たち夫婦である。子供たちのお祝いを喜んだのであるが、その金婚式のお祝いとして宮城県の陸前古川教会を訪れたのであった。私が神学校を卒業し、最初に赴任した教会は東京の青山教会であった。その教会の伝道師であり、三年後には正教師となったので副牧師として務めるようになる。そして4年後には陸前古川教会に招かれる。まさに牧師として初めて務めることになるのである。青山教会時代は連れ合いのスミさんは子育てをしながらも明治学院に勤めていたのである。日曜日に教会の礼拝に出席しつつ過ごしていた。宮城の教会に赴任して、スミさんも教会の牧師夫人としての務めをすることになる。三人の子供たちを育てつつ、教会の牧師夫人としての働きをするようになるのである。陸前古川教会は6年半の務めであった。その後、招かれたのは神奈川県綾瀬市の大塚平安教会であった。教会と共に幼稚園の園長も担うことになり、牧師夫人としての務めも多くなっている。40歳になっての赴任であり、その年齢は働き盛りでもあり、何かと教会関係の職務が多くなってくる。50歳代にもなると、さらに職務が加わってくるのである。神奈川教区の書記、副議長、議長を歴任する。その務めが終わるころは60歳代になり、今度は日本基督教団の職務を担うことになる。教師委員を2年担った後は総会書記に選任され、8年間も担うことになる。職務は教会関係ばかりではなく、社会的な職務も担う。横浜保護観察所の保護師、八王子医療刑務所教誨師、神奈川医療少年院篤志面接委員等も務める。結局、これらの職務を担うことにより、出かけることが多くなるのである。その留守の教会、幼稚園を牧師夫人として支えてくれたのがスミさんなのである。大塚平安教会では実に30年間、牧師夫人としての歩みであった。
2010年3月に現役を退任したが、夫婦二人で六浦谷間の集会とて礼拝をささげている。現役を退任したとき、「これからはいろいろな教会に出席するので、いろいろな牧師の説教を聞けるようになるね」と言ったものであるが、「これからも鈴木牧師の説教を聞きたい」というのであった。六浦谷間の集会の始める要因でもある。従って、連れ合いのスミさんは結婚以来、鈴木牧師の説教を聞きつつ過ごしているのであり、これからも聞き続けるのである。六浦谷間の集会では聖書朗読、献金感謝祈祷はスミさんが毎回になっている。現役を退任しても説教を聞いてくる人がいる、私の生きる意味でもある。

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傘寿を迎えたスミさん
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お祝いのお寿司をいただきながら
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スペイン・バルセロナの羊子や孫の義也にFace Timeでお祝いされながらケーキにフッ。
noburahamu2.hatenadiary.org