隠退牧師の徒然記<502>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<502>
2019年10月15日「食べ物を与えなさいとイエス様が」


聖書の言葉
エスは娘の手を取り、「娘よ、起きなさい」と呼びかけられた。イエスは、娘に食べ物を与えるように指図をされた。(ルカによる福音書8章54-55節)


「レシピを見ながらお料理を作る喜びを持っている」と前回記したが、今回はお料理奮戦記である。実は、料理に気持ちを向けるようになったのは、連れ合いのスミさんが野菜等を持ち帰るようになったからである。スミさんは木曜日と金曜日に「すずらん」というサロンに通っている。朝10時頃に車で迎えに来てくれる。そして午後3時30分には帰宅する。短い時間であるが、皆さんと共に楽しく過ごしているようである。いろいろな趣味に向かうことができ喜んでいる。習字、手作り品等、楽しむことが多い。そのサロンの建物の前は雑木林であったが、地主さんが貸し畑にする。サロンもいくつかの区画を借り、野菜を育て始めたのである。収穫はサロンに来られる皆さんに分けてくれるのである。こうして野菜をいただいてくるようになるが、いつの間にか嵩むようになり、悪くなりつつある野菜も出で来る。そこで、何とか食べられるようにしたいとパソコンのレシピ集を見つめるようになったのである。スミさんは綾瀬からこちらに引っ越しの際、腰を打ち、以来痛みを持ちながら過ごしているのである。従って、あまり長くキッチンに立てなくなっているのである。
まずサロンでもらってきたゴーヤがいくつかある。レシピを見ながら「ゴーヤチャンプル」を作ってみる。ちょうど土曜日に我が家の子供たちが来た時で、お世辞ながら「本物みたい」というのであった。玉ねぎがたくさんあったので、「玉ねぎ煮」を作る。「キャベツと納豆のサラダ」も結構いける出来栄えである。どれも、レシピによると簡単にできるものばかりである。料理はいろいろな調味料を使うので、どうも面倒なことである。計量さじなるものがないので買い求めてきた。そしたら引き出しの奥の方に同じものがある。計量カップも購入することにした。計量秤も必要なのであるが。今までは目分量で、適当に作っていたのである。ちゃんと目盛りに合わせながらのお料理は、やはり味が良いというもの。
もともと料理とはいかないが、食事の支度はしてきている。スミさんが忙しくて食事の支度ができないときなどは、カレーライスやおでんくらいは作っていた。そして、みそ汁も。その程度のものであったが、食事の支度をいとわなかったのである。
心に残る思い出がある。知人の婦人のお連れ合いが急逝したのである。その日の朝、具合が悪くなり、救急車で病院に向かうものの、その日のうちに天に召されたのである。一通り葬儀のことなどを決め、夕刻になって娘さんと共に帰宅する。そして、ようやく食事に向かうのであるが、そういえばお連れ合いが、朝の食事を用意しており、みそ汁が作られている。知人の婦人と娘さんは、しみじみとお連れ合いのみそ汁をいただいたという。
味はどうでも、いただく料理は忘れないであろう、と思いながら、レシピを見ているが。

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娘の羊子がいるバルセロナに滞在中、焼きそばを作っている。
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レシピを見ながら作った料理。左はゴーヤとツナのサラダ。右はゴーヤと油揚げの味噌汁。
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羊子の知人宅に招かれ、いただいたパエリア。そのうち作ってみようかな!
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