隠退牧師の徒然記<501>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<501>
2019年10月7日「今度は体を支えるために」


聖書の言葉
ヤコブエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えた。エサウは飲み食いしたあげく立ち去って行った。
(創世記25章34節)


隠退牧師になって今年で8年になる。2010年3月に30年間務めた大塚平安教会を退任する。随分と長い牧会であったと思う。牧師の在任期間は、最近は就任と共に、一応在任期間を契約している。しかし、多くの場合、継続していくのである。契約期間があると、牧師も教会員も決心することに迷わない。契約を理由に退任することができ、教会も再契約しなければよいのである。問題があって退任ということではないので気が楽である。牧師の契約期間については、最近の教会の動向である。しかし、ひと昔前は契約ということはなかった。牧師が就任すると、そのまま長く在任する場合が多いのである。私の場合がそうである。
1973年に宮城県の陸前古川教会に赴任する。何しろ前任の後藤金次郎牧師は40年間勤めていたのである。ご高齢になられたので隠退されたのであった。赴任して間もなく就任式が行われた、当時の東北教区議長の菅隆志牧師の司式で行われた。就任式後は祝会が開かれ、周辺の教会、牧師たちの祝辞があった。その祝辞は、前任の牧師のようにできる限り長く勤めて欲しいということであった。東北の教会に馴染むのは、少なくても10年は在任しなければならないというお言葉もあった。長く在任することで、地域の人々からも受け入れられるのである。ところが、私は10年も在任しないで退任してしまう。6年半の牧会であった。
もちろん大塚平安教会からのお招きがなければ10年は在任していたかもしれない。実は、横浜の実家には80歳を超える両親が暮らしていた。長姉と共に生活していたのであるが、できれば実家に近い教会が与えられることを願っていたのである。その願いがかなえられる教会からのお招きがあった。神奈川県綾瀬市にある大塚平安教会に就任することになったのである。綾瀬から横浜の実家まで車で1時間で行き来できるのである。
大塚平安教会では牧師としての契約期間を交わしていなかったので、導かれるままに教会の務めを果たしているうちにも30年間を経てしまう。その頃は70歳にもなるのである。かねがね70歳になったら退任することを決めていた。そのまま隠退することも示されていたが、2010年3月に退任するや、4月からは横浜本牧教会の代務者を務めることになる。それと共に付属の早苗幼稚園の園長にも就任したのであった。これらの務めは暫定的であり、その教会には10月から牧師・園長が就任することになっていたのである。そして2011年6月には現役を退任し、隠退牧師になったのであった。
現在も伊勢原幼稚園の園長を担っているが、時間的にも楽な務めになっている。そのためか、料理に関心を示すようになっている。レシピを見ながらお料理を作る喜びを持っている。今までは信仰のお務めであったが、体を支える務めに変身したというわけ…。

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大塚平安教会30年の在任のうち、20年間は改修した聖壇で務める。
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夫婦で共に30年間務めたということ。
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