隠退牧師の徒然記<506>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<506>
2019年11月12日「秋の味覚を鑑賞しつつ」


聖書の言葉
神はご自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです。(使徒言行録14章17節)


11月は収穫感謝祭があるように、いろいろな収穫を楽しむことができる。過日の幼稚園におけるお芋ほりも、それはそれは大きいサツマイモが出てくる。地の中にはダイコン、サトイモ、ニンジン、ジャガイモ等、おいしい根野菜が取れる。地面ではキャベツ、ハクサイ、ホウレンソウ等の葉野菜がたくさん取れるのだ。そして、地面の上、木の上にはおいしい果物が実りを迎えている。9月の始めには、伊勢原駅前に果物売り場が開店し、ナシやブドウが販売されていた。その後、店は閉められたが再び開店している。今度はカキの販売である。いろいろな果物が出回っているので楽しみが絶えない。
わが家の庭にはユズが鈴なりである。毎年ながら、このユズは鈴なりになる。しかし、こんなにユズができても、ガリガリと食べるわけでもない。それでご近所におすそ分けしているのであるが。特記したいのは、今年は獅子ユズが六個も実った。数年前に園芸店で苗木を買い求め、庭に植えておいたのであるが、一向に実がつかない。ところが昨年、一個のの実りがあった。その一個は食べるのでもなく、部屋において鑑賞していたのである。ところが今年は六個も実る。そして、今は黄色くなりつつある。この獅子ユズも食用にはならないが、巨大なユズなので、楽しく鑑賞している。獅子ユズは幸福をもたらすといわれ、昔から縁起の良い果樹だとか。それにしても大きいので、細い枝が折れそうになっている。
それから、今年はミカンが結構実っている。これも数年前に園芸店から買い求め、庭に植えておいたのである。数年は実らなかった。ところが昨年、たった一個が実ったのである。これも鑑賞して終わりとなる。ところが今年は鈴なりとは言えないが、けっこう実っているのである。これも黄色くなりかけており、味覚を楽しみにしている。ミカン、ユズ、獅子ユズと柑橘類ばかりであるが、細い木ながら姫リンゴが実っている。赤くなっているので、食味してみると、まだ酸っぱい。もう少しおいてからいただくことにしているのであるが。
家を建て替える前には、かなり太いウメの木があった。老木ながらかなりのウメが実ったのであった。両親や姉が亡くなり、この家は無人であったが、ウメはたくさん実り、この家の健在を示しているようであった。まだ、綾瀬に住んでいる頃で、ウメの収穫に来たものである。家の新築と共に、残念ながら老木は切り倒したのであった。庭には源平桃の花が咲き、楽しませてくれる。その花の時期が終わると実となるのであるが、この実は小さく、食べるものではない。もっぱらリスや小鳥たちの食べ物となっている。
小さい庭ながら収穫の秋を喜んでいる。柿やぶどう、ナシなんか植えてみようか…。

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鈴木家の庭には、今年も鈴なりの「柚子」が。
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こちらは「獅子柚子」といわれ、巨大なユズである。幸運をもたらすとか。
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昨年は一個であったが、今年はたくさんの実が。
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姫リンゴも結構実っている。
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