隠退牧師の徒然記<599>

牧師の隠退徒然記(2016年3月1日~)<599>
2021年8月23日「美しい門へと招かれる」


聖書の言葉
足の不自由な人は、毎日、「美しい門」のそばにいた。(使徒言行録3章2節)


我が家の庭の一角は駐車場になっている。駐車場は家の横にもあり、2台は駐車できるのであるが、大勢の皆さんをお迎えするためにも、さらに庭の一角にも1台分の駐車場を造っておいた。家の周りは垣根を施してあるので、その駐車場には門を造り、開け閉めできる扉を設置しておいた。設置してから15年を経たとき、扉のいくつかの場所が腐食してきて、開け閉めに支障をきたすようになった。それで、もはや閉めないで開けたままにしておき、簡単な鎖を渡しておいた。その駐車場はめったに使わないので、静かにたたずむ門ということになる。
門と言えば、ローマの古代遺跡の凱旋門がある。コロッセオのすぐ近くに古代遺跡の場所があり、コンスタンティヌス凱旋門が静かにたたずんでいるのである。かつてはこの凱旋門は栄光の門であった。戦いに勝利した将軍と軍隊が、皇帝に戦勝報告をするために、凱旋門をくぐってやってくるのである。その将軍と軍隊を民衆が歓呼して迎えていたのである。凱旋門をくぐるということは、何よりの栄光なのである。今はくたびれた凱旋門であるが、今でも栄光の門としての凱旋門がある。凱旋門と言えば、言うまでもなくフランス・パリにあるエトワール凱旋門である。パリのシャンゼリゼ通りのシャルル・ド・ゴール広場に造られているが、ナポレオンがロシアとの戦いに勝利した記念に造らせたのであるが、完成した時にはナポレオンは世にはなかったのである。その豪華なつくりは今でも栄光の門としてたたずんでいる。
 凱旋門と言えばパリを思い、関連してローマの遺跡にあることを示されるのであるが、結構、外国には凱旋門があるものである。実はスペイン・バルセロナに滞在していたことがあるが、その町の中にも凱旋門があるのである。1888年バルセロナ万博が開催されたときに建設されている。万博の会場となるシウタデリア公園への入場門として造られたのである。ドイツにはブランデンブルク門があり、凱旋門とも思えるが、戦勝記念ではないので凱旋門とは言わない。しかし、凱旋門的に象徴的な存在である。アメリカ・ワシントンには第二次世界大戦記念碑があるが、凱旋門の一種ともいわれている。
いくつかの凱旋門を示されたが、象徴的な存在として今も存在しているのである。象徴ではなく、実際的に「門」を示しているのが聖書でもある。「わたしは門である」とイエス・キリストが示した時、羊の群れとの関連で示している。羊たちの出入りの門において、羊たちの存在をしっかりと見つめる羊飼いなのである。「わたしは羊の門である」と言われる。イエス・キリストは自らを「門」であると示し、「門をたたきなさい」と励ましている。「そうすれば、開かれる」と(マタイによる福音書7章)。「狭い門から入りなさい」とも。

f:id:noburahamu2:20120921200553j:plain
ローマの凱旋門。古代の栄光を示される。
f:id:noburahamu2:20110407160603j:plain
パリの凱旋門。今でも栄光の門として示される。
f:id:noburahamu2:20110418115331j:plain
バルセロナ凱旋門。いずれも形は似ているが、目的が異なる。
f:id:noburahamu2:20210822153038j:plain
我が家の門扉も威厳があり。
f:id:noburahamu2:20210822152942j:plain
駐車場の門扉は破損しているので。