隠退牧師の徒然記<511>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<511>
2019年12月16日「喜びつつ歩むので」


聖書の言葉
人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。
ルカによる福音書2章3節)


今年もクリスマスがやってきた。毎年のことながら、年末にクリスマスをお祝いする喜びをいただいている。幼稚園ではクリスマスページェントを演じ、イエス様のご降誕をお祝いをする。キリスト教主義の幼稚園では、ほとんどがページェントを演じるようである。務めている幼稚園でも、去る14日にクリスマスの集いが開かれたのである。全体で60名くらいの園児であり、特に主として演じるのは年長組であり、その年長組は25名なので、役者不足ともなる。しかし、それなりに演じるので、イエス様の降誕物語をよりよく示されたのであった。それぞれの役を演じた子どもたちは、その役を誇りつつ歩んでいるのである。博士さんたち、羊飼いさんたち、そしてヨセフさんにしてもマリアさんにしても、自分の演じた役を喜びつつ歩むであろう。
クリスマスはページェントとしてキリスト降誕物語を演じるのであるが、春になるとキリストの受難劇が演じられることになる。この劇はイエス・キリストが十字架にかけられる劇であり、多くの人々が参加している。特に有名なのはドイツのオーバーアマガウで行われる受難劇である。1500人くらいの村人であるが、そのうち500人が参加するのだという。キリストの受難劇は10年に一度行われている。受難劇では、オーストリアチロル地方で行われる受難劇は6年に一度開催されるといわれる。これらは野外劇であり、当時のそのままを再現するのである。いろいろな人々が役をこなすのであるが、中でもイエス様の役を演ずる人は大変な苦労があろう。生きていながら十字架にかけられる状況まで演じるのであるから、どんな思いで臨むのであろう。
クリスマスなので、受難劇より降誕劇を心にとめなければならない。降誕劇では、人口調査を受けるために、ヨセフさんとマリアさんが所属する町のベツレヘムに来る。そして宿屋さんを探すのである。人口調査にやってきている人々が多くいるので、どの宿屋さんもいっぱいなのである。二人は宿屋さんに行ってはお願いするのである。「どうぞ、お泊めください」と言うのであるが、「うちはいっぱいだよ」と言って断られる。このあたりのページェントで思い出が残っている。宿屋さんにお願いするとき、その年のマリアさんは土下座してお願いするのであった。これには驚く。練習の時には、そのようなことは教えていないのに、当日になって土下座したのである。おそらく家の人が、お願いするのであるから身を低くしなさいと教えたのであろう。まあ、それはそれでよいのではないかと思ったのであった。このマリアさんが、身を低くする姿勢を学んだことにもなるのである。聖歌隊の役の子どもが、のちに声楽家になったことも聞いている。意味のあるページェントである。

f:id:noburahamu2:20191216082517j:plain
鈴木家の玄関にもクリスマスリースが。
f:id:noburahamu2:20191216082458j:plain
このリースは連れ合いのスミさんが作成。
f:id:noburahamu2:20191216082529j:plain
庭のミカンもクリスマスをお祝いするかのように。
noburahamu2.hatenadiary.org