隠退牧師の徒然記<553>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<553>
2020年10月6日「ハーモニーを喜びつつ」


聖書の言葉
わたしの神よ、琴に合わせてあなたのまことに感謝をささげます。聖なる方よ、わたしは竪琴に合わせてほめ歌を歌います。
旧約聖書詩編71編22節


NHKの朝の連続テレビドラマ「エール」が間もなく終了するそうである。最近は朝ドラとやらを見なくなっているが、「エール」のドラマは何となく気にはなっていた。古関雄二さんの物語であるからだ。古関さんは3000曲もの歌を作っている。日本の戦争中から才能を発揮した人で、中でも軍歌や応援歌等、今でも親しく歌われている。野球の阪神タイガースの応援歌「ろっこうおろし」は今でも楽しく歌われている。「イヨマンテの夜」、「長崎の鐘」、「君の名は」等、往年の皆さんの懐かしい歌である。「とんがり帽子」なども口ずさみたくなる歌でもある。そのような有名な方なので、ぜひ番組を見たいとも思っていたが、最近は物語をあまり見なくなってもいる。しかし、この番組で知ったことは、古関さんの音楽の出発点である。学生時代にハーモニカ部に入ったことが音楽の世界で活躍する出発点になったということである。ハーモニカを吹いているうちにも、作曲の道が開かれてくる。求められるままに学校の応援歌を作るようになり、軍歌も作るようになるのである。そしていつの時代でも、心のよりどころとなる音楽へと導かれていくのである。ここで古関さんを紹介するには、何も知らないので失礼でもある。
今回、記しておきたかったのは、古関さんが音楽の世界で活躍するようになったのは、ハーモニカが原点であったということである。その原点は私も同じである。しかし、原点は同じでも、音楽の世界では働くことはできなかったのである。私がハーモニカに親しむようになったのは小学校5、6年生の頃である。清水ヶ丘教会に出席していた二人の姉たちの知人から贈られたのであった。その頃、学校の学芸会が開催され、さっそくハーモニカで参加したのである。しかし、その後、ハーモニカは自らの慰めで吹くのであり、人々に聞かせるような活動はなかったのである。だから、一人でハーモニカの演奏をしては楽しんでいたというわけである。そのため、つい机の引き出しにしまっておくことが多くなっていたのであった。それが、老人になって初めて公衆の前で演奏したので、自分でも驚いているのである。
2011年、2012年、2014年に娘がスペイン・バルセロナでピアノの演奏活動をしているので滞在している。滞在している間、娘に求められて、皆さんの前で演奏したのであるから、自分でも驚いている。今まで、家族の前でもハーモニカの演奏はしていない。それなのにバルセロナでは羊子のピアノと共にハーモニカの演奏を皆さんの前でしたのであるから、記念すべき出来事にもなったのであった。
今でも人前では吹かないようにしているが、時には、ハーモニカを吹いては慰めとしており、つかの間の喜びとしている。それだけで十分と思っているのであるが…。

f:id:noburahamu2:20201006131032p:plain
所持している鈴木楽器のトレモロ・ハーモニカとミニハーモニカ。 下敷きのマス目は1センチメートル。
f:id:noburahamu2:20201006131230p:plain
皆さんの前で、初めてハーモニカの演奏を行う。
f:id:noburahamu2:20201006131352p:plain
人前での演奏が楽しくなったりして…。

noburahamu2.hatenadiary.org