隠退牧師の徒然記<537>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<537>
2020年6月16日「どこかに原点があるもので」


聖書の言葉
野の花がどのように育つのか、注意してみなさい。働きもせず、紡ぎもしない。
(マタイによる福音書6章28-30節)


6月の半ばとなる。カレンダーはこのあたりが6月の第二日曜日になるのである。今年は6月14日である。教会の暦ではないが、6月の第二日曜日は、教会は「子どもの日・花の日」としての日曜日を迎えている。今年はコロナウィルス感染予防のため、多くの教会学校がお休みをしているし、お休みをしていなくても、この日を覚えての特別な行事は行われないであろう。「子どもの日・花の日」の日曜日を迎えたとき、教会学校の子どもたちは家から花を持ち寄り、礼拝堂に飾る。このようにお花をきれいに咲かせてくださるのは神様のお恵みであり、そのお恵みは私たちにも与えられているのであり、お恵みの感謝礼拝をささげるのである。この行事は多くの教会で取り入れており、体験した子どもたちはいつまでも心に示されることであろう。
実は、私は花の日の体験ではなく、この花の日の行事によってキリスト教へと導かれたのである。1945年、日本は戦争を終えることになった。それまでは勝利の戦争を続け,アジアへの侵略、そして太平洋戦争へと発展する。しかし、この小さな国は資源がない。これ以上、戦争が続けられないほどの貧しさに陥るのである。そして、「敗戦」を宣言する。その敗戦を宣言した翌年、私は小学校一年生になる。戦後のどさくさのさ中、小学校時代を過ごしたことになる。小学校3年生の頃である。母は入院していた。ある日、その母を見知らぬ子どもたちがお見舞いをしてくれる。きれいなお花を贈られたのであった。それは6月の第二日曜日であり、キリスト教における「子どもの日・花の日」であったのである。近くの教会学校、その頃は日曜学校と称したが、子どもたちがお見舞いしてくれたのである。すでにこの頃もこれらの行事が伝えられていたのである。もともとアメリカの教会が、子どもたちを集めるために行った行事であるが、すでに諸教会にも伝えられていたのである。
その後、母は退院する。退院するや小学校3年生の私を連れて、お見舞いしてくれた教会の日曜学校に行くのであった。花の日の礼を述べ、これからは息子が出席しますからお願いしますと挨拶したのである。それからは、日曜日になると日曜学校に行かせられたのであった。そして、それが原点となって、今でもキリスト教の世界にいるのである。
今年は「花の日」の行事ができなくなっていることは残念でもある。伊勢原幼稚園でも、毎年、この行事を行っている。花の日礼拝が終わると、年長組は消防署や警察署を訪問する。署員の皆さんに感謝を述べ、お花を差し上げるのであった。その後ははしご車に乗せていただいたり、パトカーに乗せていただいたり、喜びが大きいのであるが、神様のお恵みとしてのきれいなお花を差し上げる喜びは、大きな喜びなのである。

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昔、大塚平安教会時代、病院を訪問して患者さんにお花を贈る。f:id:noburahamu2:20180606095459j:plain
幼稚園の花の日礼拝。神様のお恵みを感謝しつつ。
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幼稚園のお友達が消防署を訪問して感謝のお花を贈る。
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お巡りさんにも感謝のお花を贈る。
noburahamu2.hatenadiary.org