隠退牧師の徒然記<645>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<645>
2022年7月11日「生い茂る緑の中で」

聖書の言葉
とある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。ヤコブはその場所にあった石を一つ取って枕にして、その場所に横になった。(創世記28章11節)

「今日は在宅のようだ」と思いつつ庭で体操をする。ご近所の家であるが、いつもは不在であり、時には在宅のようだ。ここに家があっても、別のところにも家があるのであろう。いわば別荘のようだ。そんなことを思いつつも、我が家も一時、別荘でもあった。今の家は2006年に新築している。それまでは50年も経ている古い家であり、どうしても建て替えが必要であった。それで新築したのであるが、その頃は職務中であり、退職には時を要していたのである。退職は2010年3月であり、それまでは別荘でもあった。土曜日、日曜日は職務の日であり、結局、祝祭日を利用しては別荘に滞在したのである。時には異なった場所で過ごすこと、このことは皆さんの希望でもある。親族の家に行ったり、温泉に出かけたりする。息抜きと言うか、時には環境が異なる場所で過ごすこと、疲労回復にもなる。楽しい思い出にもなるのである。
スペイン・バルセロナ在住の娘の羊子が、孫の義也が夏季保育に一泊で出かけたと知らせてきた。どこの国でも、幼稚園時代から一泊でお出かけするのであろう。子ども達の良い体験であり、成長を確認するときでもある。30年以上も幼稚園に関わってきた。夏にもなれば郊外に出かけ、一泊のお泊りを経験する。郊外には出かけないで、幼稚園の園舎で泊まることもある。初めて家族からに離れ、お友だちとお泊りの経験をする。家族から離れてお泊りをすることが目的であるが、自然の中で、生い茂る緑を楽しむことも目的なのである。その意味でも、なるべく郊外に出かけるようにしている。当初の一泊保育で遊園地のような場所を利用したことがある。楽しい遊びがたくさんあり、過ごしやすいこともあったが、夏季保育の意味を持たないと思われる。やはり、生い茂る緑の中で、自然を楽しむことなのである。そこで箱根や伊豆の天城まで出かけていたのである。しかし、そんなに遠くまで行かなくでも、松田の自然の森や、朝比奈の保養施設等がある。若い頃は一泊保育のお出かけのときも、一緒にお泊りをしていた。しかし、年を重ねるとできなくなる。そのため、郊外の場所には共に出かけるが、夜は帰ってくるのであった。朝比奈の近くの上郷・森の家、横浜自然観察の森等の会場は、自宅からも近くであり、子ども達が寝るころまで共に過ごし、その後は帰宅する。そして翌日は早朝に出かけ、朝の体操、礼拝をするのであった。幼稚園の先生たちのご苦労も心に示されている。初めて家族から離れての生活は、子ども達にとって不安であり、家族が恋しくなるのである。それで、シクシクと泣くのであるが、優しい先生たちが、いつまでもそばにいてくれたり、眠るまでおんぶしている。先生たちはほとんど眠れない夜なのである。とにかく、幼稚園に帰って、家族に引き渡す。ようやく安堵するのであるが。夏になると思い出す、子どもたちと出かけた別荘のこと…。

孫の義也が一泊保育にお出かけ。寝袋をもって。
バスに乗って、不安もあるものの…。
家族の皆さんも、心配しつつ見送り。
こちらは日本の幼稚園のお泊り保育。緑の中で。
広場で楽しく遊び。

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