隠退牧師の徒然記<574>

牧師の隠退徒然記(2016年3月1日~)<574>
2021年3月1日「希望の3月を示されながら」


聖書の言葉
あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。
新約聖書・マタイによる福音書28章20節)


3月の歩みを示されるとき、やはり「終わり」の事柄であり、いろいろな思いが交錯する。この3月は年度の終わりであり、一年間の締めくくりでもある。外国の場合は二期制もあり、9月が締めくくりでもある。夏休みが終わったと思ったら、締めくくりでもあり、今までの歩みが終わりとなるのである。何となく不自然な思いでもある。3月の締めくくりは、長年の経験でもあるが、時期的にも適していると思っている。寒い冬を乗り越え、ようやく春を迎えたとき、その時が終わりである。春の息吹に囲まれながら、新しい歩みが始まる4月は、まさに始まりの時なのである。キリスト教はその春にイースターを迎え、復活のイエス・キリストに導かれるという喜びが与えられているのである。従って、3月の締めくくりは、もう気配を感じている春の息吹の中で迎えており、希望の終わりなのである。これから行われる卒業式は、次のステップの踏み台ともいえるであろう。
3月は、そんな思いで歩むのであるが、私の場合は、ステップではなく行き止まりである。4月からの、特に予定されている歩みがないからである。これまでの人生で、迎える3月は、いつも次なる歩みを見据えながら迎えていた。2010年3月に30年間勤めてきたキリスト教の教会牧師、幼稚園園長を退任するのであるが、これで終わりという思いはなかった。3月に退任しても、4月からは他の教会の牧師、園長の務めが決められていた。しかし、それも半年であり、9月には退任する。それで終わりかと思ったが、翌年の4月にはスペイン・バルセロナに赴くことになっていたので、希望の退任でもある。その後も外国旅行が繰り返されることになり、終わりのない希望が与えられることになる。2011年にスペイン・バルセロナへ、2012年も再びスペイン・バルセロナへ、2013年にはマレーシア・クアラルンプールで日本語教会のボランティア牧師で赴く、そして2014年にもスペイン・バルセロナへと赴くことになる。外国への旅はそれで終わりとなるが、2016年からは再び幼稚園の園長を担うことになり、結局5年間も務めたのである。
その園長の職務が終わるとき、81歳にもなっていた。3月は終わりであり、しかし4月からは新しい希望の歩みがあるものだと記したが、もうこれで、いわゆる「お勤め」なることはない。だからと言って希望がないと言っているのではない。4月からは何の職務もないが、隠退牧師としての歩みがある。今までも導かれていたが、日曜日には六浦谷間の集会を開いている。教会のように礼拝をささげている。ちゃんと説教を担当しているし、週報も発行している。そうなると、現役と全く同じとは言わないが、ある程度の職務が与えられているのである。職務が続いたので1時間の散歩をお休みにしていたが復活する。そして、今度こそ、片づけに集中できるだろうと思っているのであるが…。

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スペイン・バルセロナ在住の孫の義也君が、一時帰国して、散歩に出かける。
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庭でてんとう虫と遊ぶ義也君。
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地球儀でおばあちゃんにスペインを教えている義也君。

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