隠退牧師の徒然記<600>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<600>
2021年8月30日「節目なので」

聖書の言葉
父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。
ルカによる福音書1章63節)

ブログが600回目となった。もっとも、この数字は「隠退牧師の徒然記」の回数なのであり、他のテーマのブログを合わせれば1000回は超えていることになる。ブログを書き始めたのは2006年6月からである。その頃、教会の牧師、幼稚園の園長を担っていたが、二つの施設の嘱託牧師、刑務所の教誨師、少年院の篤志面接委員をも担っていた。そして、2002年からであるが日本基督教団の総会書記を担っている。職務上多忙であったことは確かである。それで、副園長を選任して、職務を軽減化するようにしたのである。副園長の存在で職務も、精神的にも楽になったと思う。ところが、その副園長が牧師・園長として書いておくべきことがたくさんあるであろうからとブログを設定したというのである。それは4月頃だと思う。しかし、なかなかその気にはならず、放置したままであった。副園長の存在で職務が楽になったものの、また一つ職務が増えてしまったのである。しかし、もともと書くことは厭わないので、ブログへの気持ちが向かないのではなかった。それで6月になって、ようやく書き始めたのであった。日記を書くように、毎日のように書いては公開していたのである。しかし、翌年の2007年3月には、ひとまず休会することにしたのである。
再びブログを公開するようになるのは2010年9月からである。2007年4月から、いろいろなことが推移している。何よりも2010年3月には30年間務めた大塚平安教会、ドレーパー記念幼稚園を退任し、その4月からは横浜本牧教会代務牧師、付属幼稚園の園長に就任している。そして、その務めが9月で終わるころ、再びブログを公開するようになったのである。「無任所牧師の所見」として2010年9月から2011年4月まで、ほぼ毎日、186回におよんで書いていた。そのブログを休会にしたのは2011年4月5日に、スペイン・バルセロナに娘の羊子がピアノの演奏活動をしているので、連れ合いのスミさんと娘の星子と共に赴いたからである。そして、帰国するや「スペイン滞在記」と題して70回を公開している。そうこうしているうちにも2012年9月10日より11月6日までバルセロナ滞在となる。この滞在記としてのブログは50回に及んでいる。そして、翌年の2013年3月13日から6月4日まで、マレーシア・クアラルンプールに赴くことになる。現地の日本語教会のボランティア牧師として務めたのである。そして、帰国するや75回にわたり滞在記を公開している。外国滞在記は2014年10月21日から2015年1月8日までの「スペイン滞在記(聖誕の門を仰ぎ見つつ)」と題して63回を公開している。
「隠退牧師の徒然記」は2016年3月から書き始めたのである。現役の牧師を隠退して10年を経ている。現役時代と異なり、出会いも少なく、出来事もない。書くことがないので、現実を見つめながら、歩んだ歴史を振り返っているのであるが…。

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成長する孫の義也君で、ブログの種が尽きず。
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バルセロナではお祭りが行われたとか。

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変わりなく存在する天使さんに励まされ。
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この子にも励まされている。ぶー、ぶーと言って。