隠退牧師の徒然記<598>

牧師の隠退徒然記(2016年3月1日~)<598>
2021年8月16日「心が癒される川の流れであるが」

聖書の言葉
エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。
(創世記2章10節)


大雨が降り、山火事が続き、落雷や大風が吹く、このような状況が近年多くなっている。地球温暖化のためであると言われる。地球の状態に変化が起きており、いつも言われることは「想定外」のことが起きているということである。日本の国ばかりではなく世界的な現象なのである。いろいろな国で大火災が発生し、いまだに消化できていない。洪水も至るところで起きている。日本では大雨が降り続き、川の氾濫となり、被害が多く発生している。多くの人々が水害で苦しむのである。何時も示されるのは穏やかな川の流れでもある。静かなる川、穏やかな海を思い浮かべるのであるが。大きな河川で、ゆったりと水の流れを示されるとき、何となく豊かな思い、平和な気持ちが与えられるのである。
どこの国も中心となるような川の流れがあり、心に深く示される。フランス・パリのセーヌ川、イタリア・ローマのテベレ川、フィレンツェのアルノ川、それぞれの川辺にたたずんだので、そのゆったりとし水の流れが心に深く刻まれている。フランスのセーヌ川は豊かな水嵩で、遊覧船が大勢の人を乗せては通り過ぎてゆく。一方、川のほとりでは、やはり大勢の人たちが憩っている。川の流れが癒しを与えているのであろう。ローマのテベレ川では、川に沿って歩いたことが忘れられない。ローマ観光を行い、ローマの道路はあまりよくないので、同じような道を再び歩いて戻るのには抵抗を覚えていた。そうしたら川に沿って歩くことで元の場所に行き着くことを知る。川に沿う道は整備されていて、決してでこぼこ道はない。連れ合いのスミさんも車椅子を降りて歩いたのであった。フィレンツェのアルノ川では、川辺に立たずんだのではなく、橋の上から川の流れを見たのである。その川の上の橋はお店が並んでおり、川の上にいるとは思えないのである。特に貴金属関係の店が多く、川の上にいることを忘れてしまうのである。外国の川の流れでは、エジプトのスエズ運河を思い出す。地上より上に運河あるような造りになっている。ゆったりとして川の流れにも、大きな船が荷を運んでいる。
外国の川の思い出ばかりを記しているが、日本のいろいろな川の思い出もある。東北の最上川、信州の千曲川などが心に示されている。東北の北上川登米教会、登米幼稚園の働きの時に、雄大な川の流れを土手から見つめたものである。登米付近を流れる北上川は河口にも近いので川幅がかなり広いのであった。大塚平安教会時代は相模川が示される。今住んでいるところで言えば、侍従川がある。川のほとりを歩いては散歩している。
大雨で川の氾濫、痛ましい災害が起きているのであるが、本来の平和な川に思いを馳せているのは、今は荒れ狂う川であり、本来の川に戻ってほしいと願っているのである。人々に平安をあたえる川であることを…。

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フランス・パリ、セーヌ川は憩いのほとり。
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イタリヤ・ローマ、テベレ川の遊歩道を楽しむ。
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イタリヤ・フィレンツェ、アルノ川の橋の上はお店が達ち並び。
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エジプトのスエズ運河
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侍従川。遊歩道を楽しむ。対岸は関東学院。正面は野島。

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