隠退牧師の徒然記<716>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<716>
2023年11月20日「外国の地で聖書に向かう」

聖書の言葉
「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝をする者を求めておられるからだ。」(ヨハネによる福音書4章23節)

牧師の道を歩むことになり、それぞれの場で聖書に示される神様の御心を取り次いで来た。教会は青山教会に始まり、陸前古川教会、登米教会、大塚平安教会、横浜本牧教会、横須賀上町教会、三崎教会等である。そして、幼稚園でも子供たちと共に礼拝をささげてきた。古川幼稚園、登米幼稚園、ドレーパー記念幼稚園、早苗幼稚園、伊勢原幼稚園等である。この他、外国でも礼拝を導かれているので、それらも少し記しておくことにする。最初の外国での礼拝は聖地旅行をした時である。日本基督教団出版局発行の「信徒の友」という雑誌に、年末から新年にかけて聖地旅行の案内があった。お休み中の旅であり気持が動いたのである。その時の教会にはもう一人の牧師がいたのである。知人の牧師が勤めていた教会を退任され、次の任地が決まるまで、共に教会を担ってもらうことにしていたのである。だからしばし教会を留守にすることもできる。申し込んでから知人の山鹿牧師も参加することになり、彼は外国には何回も赴いていたのでたよりになるのであった。ツアーは韓国の飛行場が集合場所であった。そこから一路エジプトに向かう。シナイ山に登ることで旅が始まったのであった。エジプトの空港からシナイ山の麓まで、かなり長いバス旅であったが夕刻には麓のホテルに落ち着く。しかし、翌日の午前2時にはシナイ山に向かうというので、早くも就寝である。午前2時くらい夜道を少し歩くとラクダの群れが待っていた。ルアーは20人であり、一人一人がラクダに乗る。ラクダを引いてくれる人がいるので、乗っていれば良い。暗い山道で、どんなところを通っているのかわからない。しかし、下山は同じ道を歩いたのであるが、一方は深い崖の道を通ったのである。明るい昼間にラクダに乗って登るとしたら、怖くて身が縮まるであろう。途中から歩いて山頂に向かったが、頂上に着いたときでもまだ暗かった。要するに日の出、ご来光を見るために夜中に山頂を目指したのであった。山頂にはすでに人がいるようで、あちらこちらで話し声が聞こえるのであった。その時、ツアーの責任者が、日の出と共に礼拝を担当してください、というのである。突然のことで戸惑ったが、やはり牧師である。旧約聖書モーセが神様の導きをいただき、このシナイ山十戒をいただいたくだりはよく知るところである。それらのことに触れながらメッセージを取り次いだのであった。東の彼方がほんのりと赤くなる。瞬く間にあたりが明るくなる。あちらこちらで聞こえていた人の声、その皆さんが何やら声たかく唱える。いわゆる感激の声をあげているのである。何やら歌が聞こえてくる。礼拝なるものをささげているようだ。こちらも礼拝をささげる。ツアーはキリスト教でもいろいろな教派の人たちで、賛美歌といってもどんな歌をと思ったが、教団の讃美歌にもある「いつくしみ深き」はどこの教派の皆さんも歌っているようである。多少、歌詞が異なるが、それぞれの歌詞でも同じ曲なので、皆さんは周辺のグループに負けじと声を大にして賛美するのであった。こうして礼拝に始まったツアーであり、聖地ではそれぞれの場所で礼拝をささげつつ、救い主の足跡を訪ねるのであった。

シナイ山
シナイ山頂で日の出を待っていた人々
死海の浜辺で礼拝をささげるツアーの皆さん

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