隠退牧師の徒然記<597>

牧師の隠退徒然記(2016年3月1日~)<597>
2021年8月9日「いろいろな人々と交わりながら」


聖書の言葉
話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが故郷の言葉を聞くのだろうか。(使徒言行録2章8節)


オリンピックは8月8日に閉会となり、いろいろな競技を楽しみつつ観戦したことを喜んでいる。いろいろな課題があり、運営も大変であったろうと思う。やはり自分の国が良いメダルを取ることであり、どこの国の人たちもそんな思いで応援していたのであろう。しかし、勝負よりも、いろいろな国の人たちが登場することで、平和を示される思いでもある。8月は、日本の国は唯一被爆国であり、平和を祈る月でもある。8月6日は広島に、9日は長崎に原子爆弾が落とされ、多くの人々が犠牲となったのであった。そのような悲しみの体験を持ちながら、平和の祭典ともいうべき東京オリンピックが開催されたのである。いろいろな国の人々を示されながら、競技を超えて、共に技を示しあうこと、そこに平和の原点があるのである。スケートボードの競技は10代の皆さんが技を競い合っていたが、国を超えてその技を讃えあっている姿を感銘深く示されたのであった。世界の人々が運動競技を示しあう、大切な平和の原点なのである。
今は、日本の国においても、外国の皆さんが多く存在している。しかし、私の若い頃はそんなに外国人を見かけなかったのである。私の中学生の頃、従姉がアメリカ人と結婚し、当時はかなり珍しく、話題にされたようだ。彼女がアメリカに住むようになって、何回か手紙を出したものである。その意味でも比較的早い時から外国人との触れ合いが導かれているのである。もはや60歳になっていたが、日本基督教団の総会書記を担うようになり、外国の皆さんとのお交わり重なるようになる。諸外国のキリスト教事情を示されつつ歩むようになるのである。そうこうしているうちに娘がスペインにわたり、ピアノの演奏活動をするようになる、そして、スペイン人との結婚も導かれる。そのような関りでスペイン・バルセロナに滞在すること、都合で6ヵ月である。滞在しながらパリ、ローマ、フィレンツェを訪ねている。多くの外国人と接するようになっている。マレーシア・クアラルンプールには3ヶ月滞在しているので、日本人教会の皆さんとの触れ合いであったが、生活は外国人と触れ合いながら過ごしたのであった。
スペインに滞在している娘に男の子が与えられ、今年は4歳にもなっている。これまでも数回、日本に滞在している。しかし、今は便利な世の中で、スペインにいても画面で会うことができ、お話をしているのである。日々、その成長を見ているのであるが、振り返れば成長の過程を示されるので、日々喜んでいるのである。孫は母親とは日本語で話しており、父親とはカタラン語で話しており、幼稚園ではスペイン語なのである。4歳でいくつかの国の言葉を使い分けているのである。成長を楽しみにしているのである。
今は日本にいながらも外国が紹介されており、世界の人々と共に歩みたいと…。

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バルセロナ滞在中は現地の皆さんとのお交わりが深められる。
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古物展で大勢の人々の中に。
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娘家族はサグラダ・ファミリアの近くに住んでいるので。
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もはや4歳になっている孫の義也君。

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