隠退牧師の徒然記<610>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<610>
2021年11月8日「共にいただいたので」


聖書の言葉
「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じるものは決して乾くことがない。」(ヨハネによる福音書6章35節)


毎週、日曜日に関してのことであるが、11月の第一日曜日、7日は亡くなった皆さんを覚える日である。日本基督教団は「聖徒の日」としている。「永眠者記念日」とも。要するに信仰を持って歩まれた皆さんを覚える日である。大塚平安教会時代は「召天者記念礼拝」としていた。当日は教会員として亡くなった皆さんの写真を飾り、その方々の力強く生きた姿に励まされるのであった。1979年に就任して、迎えた召天者記念礼拝では、飾る写真は10人もいなかった。そして、30年間のお勤めをして退任するのであるが、2009年の最後の召天者記念礼拝では50名にも近い皆さんの写真を飾るのであった。それだけの写真を飾る写真立てが狭くなり、少しずつ重ねながら写真を立てかけたのであった。
日曜日の午前は召天者記念礼拝であるが、午後は厚木霊園の中にある教会墓地で墓前礼拝をささげる。従って、午前の召天者記念礼拝を終えてから、午後に墓前礼拝へ出発するまで昼食をとるのであるが、ゆっくりもできないので、婦人会が用意してくれるお蕎麦をいただくのであった。そのことから示されるのであるが、亡くなった方を偲ぶとき、ご馳走をいただくのが常のようである。日本ではお通夜にはある程度のご馳走が出され、いただきながら故人を偲ぶのであった。法事などもご馳走をいただいては亡くなった方の思い出を語らうのであった。これらのことは、亡くなった皆さんとの楽しい食事が基となっているのであろうか。召天された皆さんを、特別な食べ物をいただきながら偲ぶのは日本ばかりではない。他の国々も同じように記念しているようである。スペインでは11月1日を「聖人の日」としている。そして、この日には特別な食べ物をいただきつつ亡くなった皆さんを偲んでいる。松の実で作られた食べ物、サツマイモ、栗等をいただくのである。 
バルセロナに滞在した時、何回か「聖人の日」を体験し、これらの食べ物をいただいている。2012年に滞在した時、娘の羊子が高級高齢者ホームに招かれ、ピアノのリサイタルが開かれたが、これは「聖人の日」に因んで開かれたのであった。演奏が終わると、「聖人の日」に関わる食べ物をいただくであった。2014年に滞在した時は、個人の記念会であったが、やはり「聖人の日」に関わる食べ物であった。それでもワインが出されるので、結構いただくことになる。
日本では法事のようにご馳走が出されるが、一般的には決まった食べ物はないようである。昔のことであるが、春のお彼岸と言えば「おはぎ」をいただいたし、「葬式まんじゅう」をいただいたものであるが、今はそのような風習は無いようである。それにしても今は天にある皆さんを偲びつつ、美味しいものを食べる風習は続けてほしいものである。喜びつつ天にある皆さんを語らうからである。この日を「ごちそうさまの日」と呼ぼうか。

f:id:noburahamu2:20121101042637j:plain
高級高齢者ホームで「聖人の日」前夜コンサートでピアノを演奏する羊子さん。
f:id:noburahamu2:20121101051107j:plain
聖人の日にはサツマイモや松の実のお菓子を食べる。
<>
f:id:noburahamu2:20211108095430j:plain
聖人の日のお菓子を作っている。
f:id:noburahamu2:20211108095523j:plain
出来上がった聖人の日のお菓子を喜んでいただく。

noburahamu2.hatenadiary.org