隠退牧師の徒然記<620>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<620>
2022年1月17日「時代遅れになりながら」

聖書の言葉
父親たち、子供を怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい。
(エフェソの信徒への手紙6章4節)


新年を迎え、やはり新年だなあ、と思える遊びを見る。近所の家のお孫さん達が凧揚げをしているのである。その家の前は駐車場であるが、あまり利用されないので空き地になっている。凧揚げを示されながら、昨年の3月まで幼稚園の職務を担っていたので、新年と共に凧揚げ大会を行っていたことが思い出される。幼稚園の庭で凧揚げをするには、やはり狭いので公園に出かけていた。横浜の中区の幼稚園時代には、小高い山の上に公園があり、そこからの凧揚げは下からの風を受けて結構な高さまで上げることができたのであった。伊勢原の幼稚園では、ここでも公園に出かけたが、広い土地をかけずりまわっての凧揚げは楽しいものであった。新年と言えばお正月遊びであるが、今の時代は家庭ではお正月遊びができないのである。凧揚げにしても羽根つきにしても、独楽回しにしても、それなりの場、土地が狭いので遊べないのである。しかし、土地の問題ばかりではなく、今は昔の遊びに興味を示さなくなっているのであろう。その代わりテレビにしてもスマホにしても、画面の面白さがあるのである。幼稚園では「わらべ歌遊び」があった。わらべ歌を教えてくださる専門の先生に指導されるのであるが、歌いつつ遊ぶので、楽しいひと時でもあった。ところが子どもたちが「わらべ歌」を覚えて、家庭でも歌うのであるが、保護者が知らないので、やがて子ども達も歌わなくなるというわけである。昔の遊びは幼稚園や学校でのお楽しみになっているということである。
スペイン・バルセロナ在住の娘の羊子と孫の義也が年末から一時帰国しており、一緒に遊ばされている。おかげで「アンパンマン」の動画をいつも見ることができ、時にはスーパーマーケットの中にある「子ども広場」にも出かけている。いろいろな楽しいゲーム機が置かれている。4歳なりに遊べるゲーム機があるが、結構むずかしいゲーム機もあるのだ。それらのゲーム機は、中学生や高校生が興じていたが、高齢者も結構遊んでいるのである。「子ども広場」ならぬ「老人広場」にもなっている。一日中遊んでもいることができる場所でもある。一日中いる場所ということで示されているのは、バルセロナの高齢者たちである。バルセロナの公園はもちろんであるが、道にはベンチが置かれており、どのベンチにも高齢者が座っている。行きがけにベンチに座っている高齢者を見かけるが、かなりの時間が経過して、再びその道を通ったとき、同じ人がそのまま座っているのだ。新聞や本を読んでいる人もあるが、何をするのでもなく、道行く人を見ている人、眠っている人等である。ベンチが一日中過ごす場所でもある。
カルタ、すごろく、トランプ等、親子で遊べる昔からの遊びがあるが、今はあまり遊ばれていないようである。昔の遊びばかりを思っていると時代に遅れてしまうのであるが。

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広い公園で、タコタコ上がれ。
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独楽回しの実演、さてみんなもできるかな。
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義也君も子ども広場が大好きで、バルセロナの。
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