隠退牧師の徒然記<619>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<619>
2022年1月10日「時には白くなり」

聖書の言葉
ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください。わたしが清くなるように。わたしを洗ってください。雪よりも白くなるように。(詩編51編9節)


新年も10日も過ぎれば、もう普通の生活であるが、それでもまだ新年としてのしるしを示されている。この地域に雪が降るのは新年のことであり、年末に降るということはない。そのような思いが的中して、新年になり、1月6日にはちらちらと雪が舞い始める。そして7日には一面の雪景色になっていた。久しぶりの大雪である。5センチから10センチくらいは積もったのであろう。この地域にしては大雪なのである。2、3メートルも降雪がある地域には申し訳ないが、これくらいの雪でも都会では大混乱になってしまうのである。だいたい雪の備えがないのである。長靴は、まあ持っているが、少しくらいの雨でも履かない。だから雪が降っても長靴を履かないのである。車にしてもスノータイヤとかチェーンを持っている人は少ない。持っていてもほとんど使わないからである。だから雪が降っても平気で車を運転する。雪道の困難さ、恐ろしさを経験してないのである。だから雪が降ればスリップして走行できなくなる。自分の車が雪対策を施してあっても、他の車が雪対策をしてないので動けなくなり、その巻き添えをいただくことになるのである。いかにも雪国の人間のように記しているが、少しは雪国の経験をしているからである。1970年代に6年半、宮城県古川市に住んでいた。日本海側のようには雪が降らないが、それでも雪はいつも降り、多くは積もらなくても雪道の困難、恐ろしさは経験している。そんな思い出を記すとしたら、結構いろんな思い出が読みがえってくるのであるが。
この地域の降雪と言えば、最近では2018年に降雪があった。2014の降雪の時にはかなりの大雪であり、近所の皆さんと朝から雪かきをしたものである。しかし、今回の降雪は雪かきをするほどでもない。この近所の皆さんは、途中は坂道なので、この辺の雪かきをしても、この先の坂道があるので、車の運転はしないのである。だから雪かきをしないのである。それにまだ学校が始まってないので、無駄な労力ともなる。翌日からは快晴の予報であり、瞬く間に溶けてしまうであろう。
雪が降って喜んだのは孫の義也である。年末から二ヶ月くらい、スペイン・バルセロナ在住の娘と子どもが一時帰国している。孫は4歳になっており、経験したことのない降雪には驚き、喜ぶのであった。早速、娘が雪だるまを作っては子供の義也を喜ばすのであった。バルセロナも時には雪も降るのであるが、雪が積もるということはないようである。この地域の子供たちも、あまり雪の経験がないので、やはり降雪は楽しい。ほとんど雪が降らないので、幼稚園の職務を担っていた頃、冬になれば雪遊びに出かけたものである。富士山のふもとまで出かけ、ソリ遊びを喜ぶのであった。
時には白くなる景色もよいが、都会は麻痺してしまうので、一冬一回の降雪としたい。

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今回の降雪は多くはないが、経験が少ないので、やはり苦労する。
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玄関前もかなり積もっていて。
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雪をかき集めて雪だるまを作る。義也君は初めての経験なので。
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幼稚園在職時代、日本ランドで雪遊び。

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