隠退牧師の徒然記<646>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<646>
2022年7月18日「夏の風物詩を喜び」

聖書の言葉
除酵祭の第一日、弟子たちがたイエスのところに来て、「どこに、過ぎ越しの食事をなさる用意をいたしましょうか」と言った。(マタイによる福音書26章17節)

今年は梅雨が短く、もう終わったと驚いていたのであるが、梅雨明け宣言どこ吹く風とばかりに毎日雨模様である。雨の被害もあるところも。それもそろそろ終わりそうであり、ようやく夏の日々となるようだ。そんな気候なので、今年はまだ蝉の声も聞かれないのであるが、夏だなあとの思いが募ってくる。今年は夏祭りが行われるからである、毎年、7月の第三日曜日あたりが、この地域の夏祭りである。しかし、この二年間は行われなかった。コロナの感染予防のためである。だから夏を迎えても、夏とも思えない季節を迎えていたのである。夏祭りが近づく頃、町内会館では笛や太鼓の練習が行われている。勤めから帰る途中に会館があり、遠くからでも聞こえてくる。そして、お祭りの当日は一日中笛や太鼓の音がこだまするのである。まさに夏の風物詩である。夏の風物詩と言えば、盆踊りがある。民謡に合わせて踊る皆さんは、夏の歩みを喜んでいるかのようである。夕刻になると、広場から盆踊りの民謡が流れて来るのであるが、そんなに騒音とも思えないのであった。夏祭りと言い、盆踊りと言い、この歳になって、何となく心にしみるようになっている。
若い頃は夏祭りにしても盆踊りにしても、拒否していたわけではないが、喜んでいたのではない。いずれも宗教に関係するので、気が向かなかったのである。お祭りは神道であり、盆踊りは佛教であるからだ。そんな思いであったが、スペインに滞在するようになってからは、受け止め方が変えられたのである。娘の羊子がバルセロナに滞在し、ピアニストとして演奏活動をしているので、数回滞在している。滞在中に民族的な風物詩を経験し、宗教を超えた人の営みを示されたのであった。人間の塔が作られる。何かのお祭りであるようで、そんなときには人間の塔を造り、お祭りを盛り上げるのである。人間の塔は、人間が積み重なって高い塔を立ち上げるのであるが、ふつうは五段くらいであるが、時には七段、八段の塔が造られる。可なり危ないのであるが、その時の人々の完成が大きな喜びなのである。バルセロナには住民ばかりではなく、外国からの観光客にあふれているので、人間の塔は民族を超えて、皆さんの喜びとなっているようだ。さらに、ヒガンテスという集まりもある。人間の数倍の人形を作り、ただ歩き回るのであるが、これが住民の皆さんの楽しみなのである。さらにサルダーナの踊りがある。これは宗教ではなく、民族の誇りと言われる。どんなに弾圧があってもサルダーナの踊りで民族が結束していたのだと言われる。人々はこれらの民族的の催しを心から喜び、参加しているのである。
日本にもたくさんの宗教的に祭りやイベントがある。昔から街をあげて行われてきたのである。宗教と言うより民族的な交わりなのであろう。そのように示されると夏の風物詩を楽しむようになっているのである。

お祭りには神輿を担ぎ。
屋台を引いては喜び。
スペイン・バルセロナのお祭りで、人間の塔を造る。
大きな人形が街を徘徊する。

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