隠退牧師の徒然記<558>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<558>
2020年11月10日「後になってお導きを知り」


聖書の言葉
主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴ない、魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。(詩編23編2-3節)


11月ともなれば、やはり寒さが加わってくる。もはやコートを着て出かけるようになっている。朝の5時40分頃は、随分と暗くなっているが、まだ薄暗いという感じである。次第に夜の明けるのが遅くなってくる。12月ともなれば真暗な道を歩くことになる。それも12月の冬至までで、それからは次第に明るくなっていくことで、希望のような思いを持ちつつ夜道を歩くのである。春分の日の頃は明るい朝の道を歩くのであろう。しかし、その頃はお勤めが終わることになる。伊勢原幼稚園の園長を務めるようになって3年目を歩んでいる。最初に引き受けたとき、横浜の早苗幼稚園の園長を務めていた時であったが、3月に退任することになっていたので、4月からのお勤めを簡単に引き受けてしまったようである。片道2時間も要することは気にもしなかった。長い道のりで、出身の清水ヶ丘教会を電車の車窓に眺め、横浜駅の乗り換えを楽しみ、長らく使用していた相鉄線を利用することに喜び、かしわ台駅さがみ野駅の周辺を車窓に見ながら海老名駅に着く。今度は小田急線に乗るのであるが、海老名駅の駅前、小田急線の本厚木駅の周辺等は懐かしい思い出が詰まっているのである。そして大山や丹沢山塊を車窓に見ているうちにも伊勢原駅に着くのであった。往復4時間も要して努めているので、皆さんは苦労をねぎらってくれるのであるが、本人は結構喜んで勤めていたということである。
ところで一つの勤めを引き受けたとき、そのときの思いや決心なるものがあるが、後でつらつら考えてみると、その場の状況というより、ずっと以前より、神様のお導きがあることを示されるのである。その前に大塚平安教会への導きを示されておこう。大塚平安教会には30年も牧師であり、幼稚園の園長であったが、ずっと以前より神様のお導きがあったことを示されている。清水ヶ丘教会に出席するようになるのは中学生になってからである。その頃、時々であるが大塚平安教会の名を聞いていた。礼拝が終わると、大塚平安教会が紹介され、お祈りと献金が依頼されていたのである。その頃の大塚平安教会は、成長段階の教会で、神奈川教区の祈りの課題でもあったようである。中学生の頃に示された教会であるが、40歳にしてその教会の牧師へと招かれたのであるから、神様の長いお導きを示されるのである。そして伊勢原幼稚園の園長にしても、久しく前より示されていたのであった。陸前古川教会に赴任したのであるが、前任の後藤金次郎牧師は40年間も務めたのであるが、退任後は伊勢原に転居したのである。そして伊勢原教会に出席され、何かと教会のお手伝いをされていたのであった。従って、以前から伊勢原教会、そして幼稚園を示されていたのである。神奈川教区の議長になり、伊勢原教会牧師就任式を務めたり、創立記念日には祝辞を述べたり、いろいろとお導きがあったことも示されるのである。いずれも後になって神様のお導きを知るので、今の状況にしても、今に至る神様のお導きを示されるのである。どのような状況であるにしろ、この状況は神様のお導きであると…。

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1980年頃の大塚平安教会
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伊勢原教会、この後ろに幼稚園がある。

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