隠退牧師の徒然記<593>

牧師の隠退徒然記(2016年3月1日~)<593>
2021年7月12日「週報350号の発行を感謝しつつ」

聖書の言葉
エスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。(ヨハネによる福音書21章25節)


六浦谷間の集会として発行している「週報」が2021年7月11日で350号となった。六浦谷間の集会として礼拝をささげるようになったのは、2010年11月28日からである。その年の3月末に、30年間6ヵ月務めたことになる大塚平安教会を退任した。しかし、求められてその年の4月からは横浜本牧教会の代務者及び早苗幼稚園の園長を担うことになる。同教会の牧師が10月に就任するので、それまで留守番牧師であり、また園長なのである。そして予定通り10月に専任牧師が就任したので退任する。ようやく現役の職務が終わったのである。それからはどこの教会にも属さない無任所牧師として過ごすことになり、のびのびと過ごすことになるのである。しかし、キリスト教の世界に生きてきて、職務が終わったので、どこの教会にも出席しない、というわけにはいかない。日曜日にはどこかの教会の礼拝に出席しなければならない。そのことについては退任する前から連れ合いのスミさんと話し合っていたことでもある。無任所となった10月中は関係する教会の礼拝に出席する。私の出身教会の清水ヶ丘教会、スミさんの出身教会である高輪教会である。そして、関係する教会の牧師就任式が行われたので礼拝から出席したのであった。そんなことでいくつかの教会に出席していたが、いよいよ今後の進路を決めなければならない。「どこの教会に出席しようか」と思いめぐらしていたのである。
どこの教会に出席するのではなく、自宅で礼拝をささげよう、ということになる。いくつかの条件を満たしていたからだ。まず、牧師と信徒がいるということである。そして、土曜日には礼拝説教ができているということである。退任する前から説教をブログで公開するようになっている。説教も用意されている、牧師と信徒がいる、このところで礼拝をささげることにしたのである、それが2010年11月28日である。礼拝をささげるので礼拝順序が必要であり、当初は礼拝順序だけをプリントしたのであった。約半年間、プリントしていたが2011年5月29日に週報第1号を発行したのである。今年で10年になるのである。10年間週報を発行していれば、今年は500号となるのであるが、必ずしも毎週の発行にはならなかったのである。まず、退任してから7年間は、月に一度であるが横須賀上町教会の礼拝説教に招かれていた。礼拝説教と共に聖餐式も担当していたのである。そして、隔月になるが三崎教会の礼拝説教に招かれている。今でもお招きいただいているのである。そして、外国滞在で六浦谷間の集会はお休みとなる。スペイン・バルセロナには三回の滞在であるが、合わせると約6ヵ月である。マレーシア・クアラルンプールには3ヶ月滞在している。このように留守機関もあるが、今でも週報を発行することができ、感謝しているのである。個人的な要素が多いが、歴史にもなるので。

f:id:noburahamu2:20210712090529j:plain
六浦谷間の集会第一回礼拝の「礼拝順序」プリント。
f:id:noburahamu2:20210712090427j:plain
左が2011年5月29日発行の週報第1号、右が2021年7月11日発行の週報350号。
f:id:noburahamu2:20210712090600j:plain
7月11日発行の週報350号の内容。

noburahamu2.hatenadiary.org