隠退牧師の徒然記<663>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)時<663>
2022年11月14日「食べては力となり」

聖書の言葉
信者たちは家ごとに集まって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。(使徒言行録2章46節)

お交わりは「食べること」については異論がない。共に食べては思いを語り合うことで、一層、親密な関係になるのである。1979年8月末に神奈川県にある教会に赴任する。家族と共に教会の玄関を入ったとき、婦人会の皆さんが出迎えてくださる。週日でもあったので、男性は職場でもあり、出迎えは出来ない。それでも高齢になる壮年会の方が出迎えくださったのである。昼時にもなっていたので、ご用意くださった食事をいただきながら、初めてのお交わりが行われたのであった。初めてお会いする皆さんと食事をする、お交わりの出発なのである。この食事が象徴するかのごとく、30年間のお勤めは「食べること」が付いてまわるのである。9月に赴任するが、あっという間に12月である。赴任した教会の最初のクリスマスである。クリスマス礼拝後は祝会が開かれる。祝会はポトラックであるという。教会でも食事を用意するが、皆さんが一品のご馳走を持ちより、共にいただくのである。教会全体の食事と言えば、いつもポトラックであった。それで、退任のとき、最後の送別礼拝がささげられ、その後は送別会であったが、こちらの希望でポトラック形式にしてもらったのである。会場の中央に皆さんのご馳走が並べられている。それではいただきましょうと、お皿をもって中央のご馳走へと進む。すると皆さんが寄ってこられて、御自分の作られたご馳走をお皿に盛ってくださるのである。瞬く間にお皿には山盛りのご馳走となる。とにかく皆さんの愛のこもる食べ物なので、本当に無理をしていただいたのであった。
当初は、全体のお交わりはポトラックの食事であったが、婦人会が礼拝後に「そば・うどん」を提供するようになる。礼拝後のお交わりであったが、将来の教会建築のために行うようになる。そうすると皆さんの関心が深まり、壮年会や青年会までも礼拝後の食事を用意するようになるのである。婦人会は「そば・うどん」、壮年会はカレーライス、青年会はその都度メニューという具合。従って、毎週のように礼拝後のお交わりが導かれるようになったのである。このような礼拝後の食事のお楽しみがあったが、他にもお楽しみがある。それは家庭集会における食事である。毎週木曜日の午前に各地区の家庭集会が開かれていた。いつも午前であり、終わるのがお昼頃になる。すると集会後には食事が出されるのである。会場を提供される方の負担になり、ある時期、食事の提供は止めることにしたのである。集会後はお茶程度にして、なるべく早く帰るということなのである。数年は続いたのであるが、いつの間にか食事が復活するようになる。会場を提供される方の負担を軽くする意味でも、皆さんが何らかのご馳走を持参されるのである。
家庭集会が開かれる木曜日はいろいろな集会が重なる。まず午前8時30分からは関係施設の礼拝がある。知的障碍者施設の利用者礼拝と職員礼拝が開かれていた。それが終わると幼稚園の礼拝が行われる場合がある。そして家庭集会に出席する。家庭集会に出席し、ご馳走をいただいて八王子の刑務所に向かう。運転しながら、居眠りと戦いつつで、時には路肩で寝ることも。

ポトラックの食事。皆さんがご馳走を持ち寄って。
ついお皿に盛りすぎて…。

noburahamu2.hatenadiary.org