隠退牧師の徒然記<655>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<655>
2022年9月19日「思い出す限り楽しいお食事で」

聖書の言葉
信者たちは一つになって、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。(使徒言行録2章46-47節)


この歳になって自分史を書くつもりはないが、30年間務めた大塚平安教会とドレーパー記念幼稚園時代のことを思い出している。1979年からである。特別なことをしたというのではないが、取り組んだいくつかのことを回顧しているのである。なかでも教会にしても幼稚園にしても、楽しくいただいた食事のことが思い出されてならないのである。教会では、特別な日には祝会と称して食事をする。クリスマスやイースターを迎えたときには、祝会を開き食事をいただくのである。その時は皆さんが一品持ち寄る。それを中央のテーブルに並べ、皆さんがそれぞれお皿に盛っていただくのであった。それをポトラックと称していた。在任中の特別日には必ず行っていたこともあり、2010年3月に退任する最後の日にはポトラックにしてもらったのであった。皆さんが私たち夫婦のために。美味しいご馳走をご持参くださったのである。たくさん並べられたご馳走を前にして、お皿を持って立つと、皆さんが寄ってこられてご自分の作られたご馳走をお皿に入れてくださるのである。しかし、多くの皆さんのご馳走がお腹に入ることはできない。食べられなくても皆さんのご馳走を鑑賞するかのごとく、見て回ることであった。結局、長年勤めた教会はおいしいご馳走で終わりとなったが、思い出す限り30年間はおいしい食べ物の歴史であったようだ。特別な日には祝会をポトラックとしたが、その後、特別な日ではなくても、毎週の日曜日の礼拝が終わると、必ず食事が出るようになる。それは新会堂建築計画が進められつつある中で、少しでも資金を得たいと食事を提供するようになったのである。当初は教会の婦人会の皆さんがお蕎麦やうどんを用意するようになった。礼拝後はお昼時でもあるので、皆さんはいただいては帰ることになる。それは集会ではなく、皆さんが自由にいただくもので、三々五々と集まっては共にいただくのであった。そのうち教会の壮年会も食事の提供をするようになる。壮年会はもっぱらカレーライスを提供する。このように毎週礼拝後の食事のお楽しみがあったが、さらに皆さんとの食事のお楽しみがあった。それは家庭集会でいただく食事でもある。木曜日に各地の家庭集会が開かれていたが、それぞれの集会は、いつも食事を用意してくれるのである。しかし、ある地域の家庭集会は、食事の支度は負担となるので、集会後はお茶をいただく程度にしましょうということになる。それはそれでよい取り組みなのである。しかし、それも続かなく、いつの間にか食事が出されるようになるのである。第四木曜日もやはり家庭集会がある。その家庭集会は会場のお宅でも食事をご用意くださるのであるが、出席者も一品持ってこられるので、食べきれないほどでもあった。その日は集会前に施設の礼拝に赴いており、家庭集会後は刑務所の教誨に赴く日である。集会後は車を運転すること約一時間、思わず眠くなってしまうのであるが…。

会食は皆さんの持ち寄りで、楽しくいただく。
たくさんのお料理で、どれを食べようかと。

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